2009/09/21

    芸術と医療は両立するのか

芸術家の仕事は観客(聴衆)にできるだけ自由な解釈の余地を提供する事。

シンガーソングライターが歌を歌う時、その作り手の元となった体験や考えは特定のなにかに根ざしているのだが、発信された瞬間に1000人の聴衆がいたら1000人がそれぞれ自分の体験との交点で自分なりの解釈をして共感する。別のシンガーがそのひと独自の解釈でカバーされて、全く新たな作品になりでもしたらそれほど本望なことはない。歌に限らずどのような芸術家でも同じ。

モノ作りはある程度その形態と機能が使い道を規定してしまい、それはアフォーダンスという意味では最も成功した形なのだけれど、逆にそれ以外の使い道(解釈)を許さないという自由度のなさを意味する。(まれにiphoneのような電話機能以外は持ち主がそれぞれらしい使い方をアフォードする、という例もあるが)。

芸術家は、特に大衆性の高い芸術家は、非常に「私的な」な体験からスタートするにもかかわらず、その表現の形をできるだけ多くの人がそれぞれの「私的な体験」と結びつけられるような、最も解釈の多い形で発信するという意味で、「インスピレーション」を提供する仕事といえる。ある意味「誤解」や「齟齬」は歓迎されるものである。

再度まとめると、芸術家は

発信者の「私的体験」ー(1)ー>最も解釈の可能性の広い「普遍性」(自由度が高い)ー(2)ー>受信者の「私的体験」

の(1)のプロセスにその仕事のほとんど全ての努力を費やしている。そこがうまくいけばいくほど(2)は労力を必要としない。

一方医師の仕事は、医学という普遍性、しかも受け手が自由に解釈をする可能性を限りなく少なくしなければならない普遍性を取り扱うため、最も自由度の低い普遍性(受け手が交点を見つける事が困難な)と様々な感性を持つ受け手(患者)との交点を見つけ出し、紡ぎだす、という作業をする仕事である。つまり上記の(2)に労力の多くを費やしている。

ある個人が最も自由度の高い(解釈の多い)普遍性を生み出すためにその労力の多くを費やす芸術家の仕事と、最も自由度の高い(解釈の少ない)普遍性を、できるだけ多くの感性と結びつけることにその労力を費やす医師の仕事(ある先人はdiseaseとillnessの擦り合わせと呼んだが)の両立を目指して芸術的に医療を行おうとするとき、次のような共通点を見いだす。

芸術家は最も自分らしいやり方で自分を表現する(つまり、それぞれがそれぞれの感性でそれを解釈できるようにする)事で、聴衆はそれぞれが「自分はありのままでよいのだ」というメッセージを受け取る。つまり「自分らしくある事」をアフォードする。

医師はそれぞれの患者が最も自分らしく人生を送れるようにその妨げとなり得るもの(病気や障害)を除去したり、軽減できるよう手助けをする。その手助けのやり方にはそれぞれの医師の「自分らしいやり方」を持ち込む事ができる。(ただし相手にもそれなりの努力を要求する、という意味でアフォードする事からは残念ながらほど遠い)

芸術家も医師もその人がその人らしくある。という事や人生や生きている事のすばらしさを確認するための手助けをする仕事という大きな共通点を持っている。

芸術家の端くれが

佐野元春のザ・ソングライターズ


のような番組を見ていると、ついそんな事まで考えさせられてしまう。

また難しい事を難しく書いてしまった....

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