2008/03/04

    週末のまとめ (3月1日)

久しぶりにまったく仕事のない週末だった(自分で抱えている物は別)
3月1日土曜日には
南総文化ホールにて

千教組安房支部教育フォーラム2008
【開演/終演】14:00/15:40 【入場料】無料
【主催者】安房教育会館(千教組安房支部) 0470-22-0670

に行ってきた。

なんだやっぱり仕事じゃないか,と思う人がいるかもしれない。内容は
ムツゴロウこと畑正憲さんの「命に恋して」というタイトルでの講演会
ネットで調べたら一切みつからない。ちゃんと宣伝すればいいのに。
地元の商店の張り紙で知った。
少し遅れていくと小ホールはいっぱい。子供は程なく飽きてしまいロビーで遊んでいてもらった。
なんと登壇一言目から「命に恋して,という題をもらっていますが,話し出すと止まらなくなるので,皆さんの聞きたいことに少しずつ答えていきたいと思います.質問がないようでしたら,これで帰らせて頂きます.」
場はうけていたが,究極の講演である.結局80分ぐらいで6つぐらいの質問に余談を交えながら答えて講演を終えた.

このパターンは以下の本を読んで以来記憶に残っている.

The Courage to Teach: Exploring the Inner Landscape of a Teacher's Life
The Courage to Teach: Exploring the Inner Landscape of a Teacher's Life
  • 発売元: Jossey-Bass Inc Pub
  • 価格: ¥ 2,707 (10% OFF)
  • 発売日: 1997/11/21
  • 売上ランキング: 106463
  • おすすめ度 5.0


英語なので途中まででそのままになっているが,教師の心構えについては著者のParker Palmerの言葉がもっともしっくりくる.
本の中で優れた教師として評価の高かった人の教育スタイルとして,毎週講義の時間にやってきては開口一番「質問のある人は?」と尋ね,何もなければそのまま講義時間を終える教師の話が出てくる.数回はそれが続くがそのうち学生が焦り始め,教材を必死に読んできて質問をし始める.質問が出たとたん彼のその領域についての知識や洞察が素晴らしいことがすぐににじみ出て,非常に深い学びの講義がその後毎回続いた,という話.

最近Prerequisite(必要条件,前提条件等と訳される)について考えることが多い.もちろんある教育に対しての学習者のPrerequisiteのことだ.Instructional designにおいてはある教育を行うときにその教育が効果的であるためのPrerequisiteを考える必要があるとされる.簡単に言うと足して10を超えるひと桁の足し算が確実にできなければ繰り上がりのある2桁の足し算は学べないということ.readinessと言い換えても良いだろう(ただし,readinessはより心構え的なことを指すことが多い)学べなくはないが,やっぱり足して10を超える一桁同士の足し算を習得するところから始めざるを得ない.大学のコースでも履修条件として「経済学基本編の習得が前提」とか書いてある.
話は戻るがこの「質問がなければ終わります」というのは質問が出るためには何を知りたいかについて参加者が十分に考えていること,何が分かっていて何が分かっていないかについて分かっていること,その分野について何らかの興味や問題意識を持っていることが前提となる.そして,手短に答えられるような形の質問のレベルまで言語化できるほど質問者の意識の中でねられていること,などが前提となる.
つまりそのようなレベルをPrerequisiteとして聴衆に求めている,ということである.

もう一つは,話す側が全く何を話すか準備できず,完全にその場の質問に答える,という意味では究極の「学習者中心」の講演であり,この形式が最も講師の能力を必要とすることは自明であろう.

私も時々自分へのチャレンジとして招待された講演で「今日は質疑応答の時間にします」とすることがある.さすがに質問がなければこれで終わりにして帰りますとは言わないが.

当日ムツゴロウさんに対して出た質問は(覚えているものだけ)
「なぜムツゴロウと呼ばれるようになったか」
「ムツゴロウさんは動物を殺して食べることはどう思いますか」
「苦手な動物はいますか」
「像が殺された仲間の像の牙が隠されているところを探し出すはなしがありますが,それはどうやるのですか」
「県では有害鳥獣といって,鹿やハクビシン,イノシシなどを捕まえて殺すことがありますがそれはどう考えますか」
など
これまでの豊富な経験を元に非常に生き生きとお話しをされた.


学んだこと
全ての生き物は他者の命を犠牲にして生きている.他者の命を犠牲にせず生きることはできない.感謝して,必要なだけ,有り難く頂く.
最近の子どもは魚や鶏を食べるために自分で(もしくは目の前で)殺すという体験がない.そのような体験は必要.(命のありがたみが分からなくなる)
人間に害を与える動物は徹底的に駆逐せよ(ムツゴロウさんの言葉としては意外でした)
ムツゴロウさんの学習スタイルは徹底的に自分で経験して学ぶ(アナコンダに首をわざと絞めてもらったり,ピラニアやワニの池で泳いだり,ライオンに首筋にかみついてもらったり,サソリに刺してもらったり,全部自分から求めていったそうです)

人間は特別な動物ではなく他の動物と同じように食物連鎖の中にあり適者生存のルールによって生きていくのだ(だから生存に必要なことはせざるを得ない)というスタンスで人間をとらえている印象でした.

その人間性と人生経験だけで話しを聴いてもらってお金ももらえるなんて,良い仕事だなあ.

2008/03/03

    American Family Physician(Online Journal)がアクセス出来なくなる日

AAFP (American Academy of Family Physicians:米国家庭医学会)
より封書が届いた。以下要約。

会員の利益と価値を高めるために以下の変更が生じるので承知置き下さい。
4月1日をもって雑誌American Family Physician: AFP,およびFamily Practice Managementのonlineアクセスを発行から12ヶ月間は会員限定にします。(log-inが必要とのこと)
12ヶ月経過後はほぼ全文がオンラインでアクセス可能になります


Family Practice Managementに関しては
会員に対しての印刷版は会員限定のページを8ページ余分につけます
また,外来が中心でない会員に対しては,リクエストがない限り印刷版の発送を中止します
----------(ここまで)-------------------

見てすぐの感想は「残念」ですが,落ち着いて考えてみるととっても難しい問題ですね。
良くも悪くも現在の診療で生じる殆どの疑問の解決のソースはAFPです。またレジデントからの質問にも要点を答えたあと「あそこによくまとまっているよ」と紹介する情報源の多くはAFPです。それだけ,家庭医の診療と最もマッチした分野,内容,ニュアンスで書かれており,その妥当性や信頼度,evidence leveleについてはまだまだ改善の余地はあるものの,2004年からは家庭医療関連の雑誌で共同声明としてStrength of Recommendation Taxonomy (SORT) というevidence level, recommendation levelの統一記載方法をまとめ,著者は違えどそれに乗っ取ったまとめを載せるように心がけており,私にとっては簡単に復習をする方法として非常に役に立っています。何より無料でonlineで見られることがその価値の高さだと思っています。
なぜならそれはfidelity(もしくはエビデンス診療ギャップ)の壁を取り去る一つの方法だからです。
米国に渡る前,AAFPには入会も認められませんでした。まだインターネットがそれほど普及していなかった当時,AFPを読むには家庭医の指導医に貸してもらうか,医学図書館に行くしかなかったのです。
実際の会員の何倍もの人が世界中でAFPの文献に(偶然も含めて)遭遇し,それに従って診療を変えてきているはずです。それが12ヶ月のタイムラグを生むことになるとどうなるか。。。
実際12ヶ月遅れてがらっと内容が変わるような医学知識の発展は年に数回あるかないかで,それ自体は問題にならないと思われますが,最新のものがみられないようになって,臨床家の検索対象情報源の選択枝として意識下での優先順位がだんだんと下がっていくことの方が懸念なのです。

一方会員は高いお金を払っています。
active memberは年$330(international memberは$110)
これらの人たちが,年会費の分だけ自分たちにそれなりの見返りを,ということになるとやはり学会としては何らかの対応を迫られます。
雑誌を年20冊発行するには大変な資源が使われています。
今無料のアクセスが出来る状態では会費をさらに上げるということは無理でしょうし,やはり会費の額はお金を払う人とそうでない人とが得られるものの違いに見合ったものでなければならないのでしょうから,その差が小さいからといって,会費を値下げすることは考えにくいでしょうし,今回の決断となったのでしょう。

私も学会の理事をしていたり,自分で会費を取ってHANDS-FDFなる指導医養成コースを運営する立場ですので,

大事なことは出来るだけ多くの人に(fidelity)知ってもらいたい,患者さんに最終的には還元したい

ということと,

お金を払う人の見返り

のconflictのなかで,非常に難しいと感じるしかないのです。

さてこの情報を中心としたチープ革命の時代にどうやって情報の持ち主はそれに価値を持たせ,かつその情報から得られる利益を出来る限り多くの人へ届けるという対立概念を両立させればよいのでしょうか。

今回の決定が裏目に出ないことを祈るばかりです。

ちなみにこの通知はまだAAFPのHPでは見つけられませんでした。いっぱい反対が出るのを心配してでしょうか。