2009/06/25

    ジェネラリストになろうとする際に感じる不安の元となるジェネラリストとスペシャリストの役割に関する6つの誤解 (McWhinneyより)

引き続きMcWhinneyを再訪しています。
我々が考えつくことというのは通常既に先人が考えついていて、答えが示されていたり、既に形になっていたりするものです。
表題通りですが、ジェネラリスト自身も、それになろうかと考える人たちも頻繁に出くわす批判や質問ではないでしょうか。あくまで見出しは「誤解」ですので間違えることのないよう。

pp23-27

1. ジェネラリストは医学の全ての領域をカバーしなければならない。
2. 医学のどの領域を取り出してみても、常に、その領域のスペシャリストはジェネラリストよりも知っている。
3. 専門分野に進むことで不確実性というものは除去できる。
4. 専門分化することにおいてのみ、深い知識(depth of knowledge)を得ることができる。
5. 科学の進歩によって情報量は増加する。
6. 医学における過ち、誤りは通常情報不足から起きる


だからスペシャリストになる方がよい、ジェネラリストになるのは不安というのは誤解に基づいた決断であるということです。(真っ当な理由でスペシャリストになるのは全然よいと思います)

McWhinneyとFreemanの主張を見てみましょう。(以下、岡田による意訳と翻案)

1. ジェネラリストは医学の全ての領域をカバーしなければならない。

ジェネラリストの知識はスペシャリストと同様に選択的(selective)である。スペシャリスト同様、ジェネラリストは自分の役割を全うするために必要な知識を取捨選択している。
(例:くも膜下出血において、ジェネラリストに必要な知識は、初発症状、早い診断と紹介に必要な手がかりについて。脳外科医は詳細な病理、診断と外科的治療の知識。当然、疾患によってはマネジメントまでジェネラリストが知っていなければならない場合もある)

2. 医学のどの領域を取り出してみても、常に、その領域のスペシャリストはジェネラリストよりも知っている。(どの分野でもジェネラリストはスペシャリストに知識量では勝てない)

これはジェネラリストの「どの領域をとってみても「これは自分たちの専門領域だ」と呼べるところがない」という感情の代弁であろう。しかしながらこれは真実ではない。我々は頻繁に遭遇する問題については非常に物知りになる。一方スペシャリストは疾患の非典型的な例について物知りになる。(非典型的なために診断がつかずジェネラリストから紹介されてくるから。大学病院や子供病院の小児科の研修医が一度も水痘の子供を診たことがない、というのと同様。予防接種の普及不足という問題は別にして。)時にジェネラリストは日常高頻度問題(common problem)の典型的な事例について、たとえ自分が答えは何か、どうすべきかわかっていても、家族のプレッシャーや不安などで、スペシャリストに紹介することがある。その時に意外とスペシャリストは疾患の典型的な例についてあまり取り扱ったことがないので意外とどうしたらいいかの知識がないことに初めて気付くことがある(フリーアクセスの日本では多少事情が違うかも知れませんが、それでも、同様の経験は多数あります。岡田注)
それらの現象は補完的である。なぜなら、ジェネラリストが紹介例を取捨選択するからこそスペシャリストのそのような知識集積体系になるからである。

3. 専門分野に進むことで不確実性というものは除去できる。(ジェネラルでやると、自分で解決できない場合も多くストレスがたまる。専門を持てば「わからない」「予測できない」ということはなくなるのでは)

北米家庭医療創世期の巨人の一人Gayle Stephensによると、「不確実性を取り除く唯一の方法は、その問題をもっとも単純な要素に落とし込み、その周辺領域との関係を絶つことである」と述べている。そして、このような仕事の仕方をする臨床分野があるとするとそういう領域はあっという間に価値を失い消滅する。


4. 専門分化することにおいてのみ、深い知識(depth of knowledge)を得ることができる。

depthとdetailを混同しないことが重要。深い知識(depth of knowledge)というのは、意識の質によって規定されるのであり、情報の中身ではない。
ここで例として、戦争において、目的とその戦術において議論すべき状況で、手に入る有刺鉄線とガソリンの量について議論していた上官の例を挙げています。depthとdetailを混同し本当の問題を見失っていたと。


5. 科学の進歩によって情報量は増加する。(であるから、1とも関連するが、ジェネラリストとしてやるのはどんどん不可能になる。)

1と同様、ジェネラリストをやるならすべて知っていなければならないという呪縛に縛られています(岡田注)。

逆であるとMcWhinneyは述べています。「もっとも未分化な科学の領域ほどもっとも情報量が多い」非常にうんちくの多い言葉です。今の新型インフルエンザの例を考えてみましょう。わからないことや真理がまだ無いからこそ、多くの調査報告が出てくるんですね。
Sir Peter Medawarを引いて、「サイエンスにおける具体的な知識量の負荷はその領域の成熟度と逆比例する。サイエンスが進むにつれ、個々の小さな事実はその大領域の中で理解され、ある意味、一般化しつつある根本理論の中に取り込まてしまう。つまり、意識的に明文化され、意識されなければならないものではもはやないとして。」(成熟している領域ほど、その上位にあるメタ理論的なものの応用で対応可能だったり説明可能だったりしてとりこまれてしまうから。ということです)

続けて、McWhinneyはinformationとknowledgeを混同してはならないといいます。informationは確かに指数関数的に増える一方だが、それらの多くはほとんど価値が無く、寿命が短く、スペシャリストに対してのみの技術的な興味のみであり、そしてその多くは、医学の本質的なknowledgeに組み込まれるか、最終的に否決されることになる仮説を検証するためだけのものなのである。と

6. 医学における過ち、誤りは通常情報不足から起きる

情報不足から起きる医療事故はあまり無く、多くは、不注意、思慮不足、無関心、傾聴しないこと、運用上の非効率、コミュニケーション不足等が原因で、その他の多くは、知識不足というよりは医師の態度や技術的な問題から起きる。もちろん一般の人は医師がいっぱい知っている方が良いに決まっているが、それが医療の質の高さを保証するわけではない。また、医師は情報をどのように得て、利用するかについても習熟していなければならない。

(中略)

最後に、付け加えておきたい2点として、
1.家庭医がジェネラリストだからといって、すべての家庭医が全く同じ知識と技術を持っているということを意味しない。すべての家庭医は患者さんに対して同様のcommitmentを持っているが、興味や研修内容によって、知識や技術は重ならない場合も多い。このことがグループ診療において、その診療所の豊かさの源となる。特に僻地と都市部でその違いははっきりするが、それは、自分たちの診療する地域の資源と患者のニーズによって適応を遂げた結果であり、どちらもその地域の患者と地域のニーズに合わせて、(結果として)包括的に対応している家庭医なのだ。
重要なことは、決して細分化に至ってはいけないということである。家庭医は多少分化しても良いが、細分化してはならない。その時点でジェネラリストの役割は失われてしまう。(言葉遊びかもしれませんが、differentiationはよいが、fragmentationはだめと。)

Family Physicians may be differentiated, but family medicine should not fragment. If it were to do,the role of generalist would be lost.

2.家庭医は臨床領域の境界を越えて活動するだけでなくさらに困難な境界も越える。それは医療と社会的問題の境界である。この境界は明瞭であることはほとんど無いために難しい。患者の問題はその上に馬乗りになっている。であるから家庭医は臨床医療とカウンセリングを行う専門家の境界面をうまく取り扱う責務を負う。

とされています。

これ数回に分けるべきだったかも知れませんが非常に深いので一気にやってしまいました。

中略の部分には
ニーチェが呼ぶところの逆障害者(inverted cripples):臓器を失ったからではなく、特定の臓器を過剰意識してしまったために障害が出てきた人の話や、常に教育そのものが特定の分野で秀でることと関連づけられ、バランスは無視されたためにいわゆる人類の知恵(wisdom)が喪失されているのでは、ということ、同様に卓越(excellence)が何の分野にせよ、ある特定のことに関しての能力の限界までの引き上げのことを意味したため、そのために失われることが無視されてきたことなどが語られています。

そして「ジェネラリストになろうと決断した際に」に続けて、
「家庭医はバランスと全体性を優先するためにある特定の分野だけを伸ばすということを棄権した」と書いています。家庭医はその決断をしたことによって、支払うべき犠牲はもちろんある。その存在そのものがバランスをなさない社会からの認識不足。全体の卓越のために特定の才能を犠牲にすること。
しかし、個人的な見返りは甚大である。

「only men who are themselves whole, can understand the needs and desires of other men.」(自分自身が全体である人間だけが、他の人間のニーズや欲求を理解することが出来る)

それ自身がすばらしい文章のためコメントは控えます。

2009/06/24

    Family Medicine Journal Volume 41 Issue 6 2009 June

久しぶりにjounal watch.表題の号から。(本来は毎月やりたい雑誌が3冊ぐらいあるのですが。。)
メインのリンクとタイトルだけ出してコメントをしておきます。著者や詳細は各自でどうぞ。

http://www.stfm.org/fmhub/toc.cfm?xmlFileName=fm2009/fammedvol41issue6.xml

Drug Promotion in a Family Medicine Training Center: 21 Years Later

21年間で製薬会社の名前の入ったペンやその他の販促グッズがどのぐらい減ったかの小さな報告。
これも取り組まなくてはいけません。


Advanced Procedural Training in Family Medicine: A Group Consensus Statement

昨日のエントリー参照

Family Medicine Residency Characteristics Associated With Practice in a Health Professions Shortage Area

Community Health Centerでトレーニングを受けたレジデントは研修修了後医師不足地域で仕事をする可能性が4倍ぐらいという話。こういう関連については多くの報告が。

Practice Management Residency Curricula: A Systematic Literature Review

診療所運営をどう教えるかについて、またその効果についての論文は33しかない。質や中身もバラバラ。論文のニッチのエリア。

Medical School Curricula: Do Curricular Approaches Affect Competence in Medicine?

医学部の話。臓器別カリキュラムか、分野別(生理、薬理など)カリキュラム、PBLかでUSMLEのスコアに差が出るか。という話。差はなし。

Factors Associated With a Physician's Recommendation for Colorectal Cancer Screening in a Diverse Population

大腸癌検診をやりましょうと進められるのはざくっと5-7割の患者。女性医師の方がより推奨する (56% vs67%)など。

Effects of Implementation of a Team Model on Physician and Staff Perceptions of a Clinic's Organizational and Learning Environments

チームで診療すると職場が良くなるという話。

Essays and Commentaries
Translation of Clinical Research Into Practice: Defining the Clinician Scientist

今以上に地域で診療する医師で研究をする人が必要、という話。

とにかくアイデアはそこら中に転がっているがimplementationからmeasurementそしてpublicationさらにdisseminationまで持って行くのは至難の業。

2009/06/23

    家庭医に必要な手技 (advanced編)

以前のエントリー
2008/05/12 家庭医に必要な手技,手技の能力の評価と記録,hospitalistに必要な能力
で取り上げた論文

Required Procedural Training in Family Medicine Residency: A Consensus Statement

Melissa Nothnagle, Julia M. Sicilia, Stuart Forman, Jeremy Fish, William Ellert, Roberta Gebhard, Barbara F. Kelly, John L. Pfenninger, Michael Tuggy, Wm. MacMillan Rodney, STFM Group on Hospital Medicine and Procedural Training

(Fam Med 2008;40(4):248-52.)


の続編(update)が今月号のFamily Medicine誌で取り上げられている。

Advanced Procedural Training in Family Medicine: A Group Consensus Statement
Barbara F. Kelly, Julia M. Sicilia, Stuart Forman, William Ellert, Melissa Nothnagle
Fam Med 2009;41(6):398-404


一応前回の論文で規定されたcore proceduresがSTFM,AAFPに承認され、RRCに今後の改訂の際に参考にするように提出された後、特に手技の教育を多くするプログラムや、レジデンシー修了後にやる手技としてのadvanced procedureのリストが必要、という話になった。ついでに前回のcore proceduresのリストについても見直しましょうということに。そのやり方は前回の時と同様。

カテゴリー分けも前回と同様であるが、Bカテゴリーの定義を微妙に変更(以下変更を含めた再掲。変更部太字)

領域毎に,core procedures for family medicineとして
A,B,Cにランキング AをA0-A2に細分化 

A:すべての家庭医療研修プログラムがこの領域の手技の研修を提供する必要がある
A0:このレベルは,すべてのレジデントが医学部修了,もしくはレジデンシーの途中で出来るようにならなければならない,研修の証明や数の記録は不要
A1:全てのレジデントがこのレベルの手技が卒業までには独立して出来るようにならなければならない
A2:全てのレジデントがこのレベルの手技にふれ,卒業までには独立して出来るようになるための研修する機会を得られる必要がある.(必ずしも出来るようにならなくても良い)
B:このレベルは家庭医療の範囲内であるが,レジデンシー修了までに独立して出来るようになるためには数多く,集中した研修をする必要が生じうるもの
C: このレベルは家庭医療の範囲内であるが,独立して出来るようになるためには3年を修了後追加の研修が必要になり得るもの


再度procedureの定義「患者のケアに関して、手先を利用して行う必要のある、認知的、かつ運動的活動」ということに基づいて、やはり多少判断を伴う心電図なども入れましょうと言うことになった。

結果core listには9個追加が生じ、advanced listとして(2008年の論文ではあげられていなかったが)B,Cのカテゴリーに属するスキル36種類規定されることになった。(今回のtable 2と3)
この先、何を持ってそのスキルは"competent"とするかにおいて議論がさらに必要であるが(もちろん実施回数ではないことは確か)、まずはリストが設定されたことが重要であろう。

日本のプログラムにおいてもこれらを参考にしながら、自分たちのプログラムでレジデントがきちんと出来るかどうかを保証しているかどうか、保証する必要があるかを考えるきっかけとすることが出来る。

ちなみに我が社(私たちのプログラム)では、2008年にその手技を規定、去年試験運用をして、今年から本格運用をしています。まだ改善の余地はありますが、「あなたのプログラムで認証が必要な手技は難ですか」といわれたら提出できるリストがあります。(厳密には手技以外も含んでいるのですが)

前回のリストも今回のリストも部会(STFM Group on Hospital Medicine and Procedural Training)の中から20人前後のメンバーがこれだけのために丸2日間集まってやったというのがみそ。

しかもそれぞれの部会は参加が自由な(日本人のあなたも私も希望すれば入れる)ところがみそ。執行部と理事会だけでやろうとしないことが重要、そのためには裾野(会員数)が広くないと駄目。そのためには入会の魅力が必要。

どんどん進めていかないと。(言うのは簡単であるが。。。)