言葉の領収書.
以前のblogから再掲。
http://www.p-db.com/kotoba.html
http://cyblog.jp/modules/weblog/details.php?blog_id=143
http://blogs.itmedia.co.jp/koji/2005/12/post_10cf.html
で見られます.発案者はプレジデンツ・データ・バンク株式会社の高橋礎(はじめ)社長。
実際に買うことも出来ます.まあ相手に自分のことを印象づけるために始めたようですが,一方で複写式なので自分のところにもいつ誰にあったか,誰からどのような言葉をもらったかの記録が残るので.良い振り返りに成るのではないでしょうか.
そして今回は
私を現在の組織に引っ張ってくれた卒後研修委員長のN先生
3月23日に頂きました
life is a garden,
not a road
we enter and exit
through the same gate
wandering,
where we go matters less
than what we notice
~ Bokonon ~
(The Lost Book)
N先生ありがとうございました。
人生は良く「旅」に例えられます。上記の詩にある、
we enter and exit
through the same gate
と同じように普段住み慣れた生活から出て、またそこに戻ってくるのが旅です。仕事の出張は別にして、自ら行きたいと計画するたびの目的はなんだろうか。
死ぬまでに一度xxxを見てみたい。という目的もあるだろうが、それは、見て何かを感じるからなのだろう。
where we go matters less
than what we notice
どこに行くかではなく、どんなことに気づき、どんなことを感じるかの方が重要。
最近文献を調べ直した限りでは、今の所は死なない人はいない。すべての人は生まれた瞬間から死に向かっている。
人生の終点は「死」なのである。「死」が人生の目的だというつもりはないが、間違いなくすべての人が一度経由する地点である。
そこに至るまでに、何をし、どんなことに気づき、どんなことを感じるか。
そんなことを書いていると、「満足死」の提唱者の疋田善平医師の事が思い出される。
医療ルネサンス 在宅のデザイン 満足死 自分の死 自分でつくる (2007年9月24日 読売新聞)読書感想文 奥野修司『満足死』講談社現代新書 2007-03-28取材対象は疋田さんというお医者さんで、二人称三人称ではなくて一人称の死を「満足死」と呼んでいるようでした。で、死の段階を社会・他人に貢献できない「社会死」、自分の身の回りの世話ができなくなる「生活死」、心停止する「生物死」の三段階に分けて、「生活死」と「生物死」の間隔を短くできれば、「満足死」できる可能性が高くなると考えているようでした。
奥野修司「満足死」;講談社現代新書 ”朝吼夕嘆・晴走雨読”2007年04月08日 本書で疋田医師の説く「社会、生活、生物」の3段階死は考えさせられた。
満足死 September 26, 2007 マタンゴ雑記Ⅱ疋田先生には個人的に数年前にお会いしたことがあるのだが、(日本プライマリ・ケア学会の指導医ワークショップの参加者としてこられておりました。)80歳を超えているにもかかわらず、いろいろなことに積極的にとり組まれておられ、私の紹介したDale's cone of learningについても後日「出典を教えて欲しい」とわざわざ連絡をしてこられました。そのおかげで私も、Dale's cone of learningについては、一つ新たな学びを得ることが出来ました。
ここ。ここでは、もう一段階踏み込んで考えたい。
人生においての
we enter and exit
through the same gate
the same gate:出入り口はどこか。
人生を「庭園」と考えるならば、その外側にあるのは何か。
仏教的な考えでは「あの世」から「この世」に入って来て、終わりが来たらまた「あの世」へもどっていく。
他の宗教でも「死後」に行く所の設定がなされている。
六道もしくは六道輪廻という考えからすると、この世(人間道)はあくまで永遠に続く輪廻の通過点でしかない。その人間道が「garden」であるとするならばその外側になるのは残りの五つの道ということになる。
肉体はこの世に置いて行くわけなのでその六道をめぐるのは「精神」なのだが、その「精神」が永遠に六道をめぐり続ける中で人間道という「garden」に迷い込んだ時そこで何を見聞し、経験し、感じ、学ぶかという事が、その「精神」の経験値となり、つぎの「道」へ行き更なる修行を積むという風に考えるとしっくり来るのは自分だけだろうか。(そのつみかさねを業(カルマ)というのだが)
精神がこの世にいる間だけ使用する「肉体」という乗り物。それをきちんと手入れしていなければ乗り心地が悪いだろうし、時々ガタが来てレスキュー隊を呼ばないと行けない(受診、通院)ようでは人生という「旅」の体験もまたちがったものになるだろう(それも「旅」の一つ、と考える人も多いだろうが)。あいにく、車とちがって、肉体という乗り物は動けなくなった時に「代車」がないので、また動けるようになるまで整備工場入りか、動けなければそのまま「廃車」ということになる。
こんなことをつらつらと書いていたら急に「マルコビッチの穴」という映画を思い出した。これだから人間の脳は面白い。
- 満足死 寝たきりゼロの思想 (講談社現代新書)
- 発売元: 講談社
- 価格: ¥ 756
- 発売日: 2007/02/16
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