2009/09/26

    男もすなる「つわり」といふものを..(part2)

前回のエントリー 男もすなる「つわり」といふものを..
の補足。

以前どこかで読んだ、という男のつわりについての出典。

赤ちゃん誕生の科学
正高 信男
PHP研究所 ( 1997-01 )
ISBN: 9784569555133
おすすめ度:アマゾンおすすめ度


章立てそのものが結構面白い。
第1章 男の子と女の子の生み分けは可能か
第2章 つわりはなぜ,起こるのか
第3章 胎教はどこまで本当か
第4章 出生前診断を受けるか受けないか
第5章 どのようなお産を選択するのか


医学、生物化学的な部分の裏付けはあまりしっかりしていないが、現象としての意味や、社会学的な解釈を中心に書かれている印象。

その第2章で
様々な仮説の中で「コミュニケーションとしてのつわり」という下りがある。
そこで、男を試す試金石としての役割 というセクションがある。
以下抜粋+要約

妊婦自身が意識している訳ではないが、「吐き気」をもよおすことに、何らかの反応を見込んで、体がそのような現象を起こす、とするならば、それを効果的に利用する方が得策であろう。
男性は当人の意思次第で、子供の養育の負担をかぶる事もできるし,逃げる事も,妊娠だけさせておいて、姿をくらます事も可能である。
子供を育てるには膨大な時間と資源が必要であり、女性にとってはできるだけ早く父親にあたる男がどのような態度を取るか見極め,必要に応じて迅速な対応策をとる事が必要。
その心構え(どの程度子供のある過程を長期的に維持する事に責任を持つ気があるのか)を知るための最初の試金石として、つわりに対する反応を利用しているのではないか。


先述の日本のあちこちに残る男のつわりの例も挙げながら、最も代表的なものとして、南アメリカ先住民の例を挙げている
その中でいくつかの特徴として
*一般に夫が嘔吐するほど妻のつわりは軽くなると言われている
*広大な南アメリカ先住民の部族のうちのかなりの数に同様の例がみられる
*男のつわりがみられる文化に共通する特徴が存在し、それは,それらの文化がおおむね母系社会である

母系社会とは財産や権利なども含め母、娘の流れを中心として継承される。男性は通常入り婿のような形をとり,よりその地位は低い(亭主関白、男尊女卑の反対)。
要は、女性が様々な決定権を持つ社会で、男性がその利益に預かろうとするために、生まれてくる子供の養育に夫がどれだけ貢献するつもりがあるかの「証し」を見えやすく表現する事が求められているという背景からではないか。との仮説。


社会現象としての解釈なので、証明は難しいけれど、つわりのひどさとその後の離婚率の関係という形で研究にはできそうです。

2009/09/23

    男もすなる「つわり」といふものを..

「女も」の間違いではない。
男もつわりをするのである。だいぶ前に読んだ本で既に知っていたが(出典を失念。その時は南洋のとある民族の話として知った)、改めて確認。

立派にwikipediaにもまとめられています。(出典に柳田国男監修・(財)民俗学研究所編『民俗学辞典』なども使われています)

男のつわり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


より

男のつわり(おとこ-)とは、妻が妊娠すると夫の身体の調子が悪くなることをいう。福島県では「トモクセ」、岩手県沿岸地方では「男のクセヤミ」といい、ひどい人は妊婦と同じく汗をかいて衰弱し、嘔吐をもよおしたりもするが妻の出産が終わると治る。「病んで助けられるのはクセヤミばかり」という民俗語彙もある。岩手県岩手郡では「クセヤマイ」、長野県下伊那郡地方では「アクソノトモヤミ(悪疽の共病み)」、奈良県高市郡地方では「アイボノツワリ」と呼ぶところがある。未開社会では、妻が妊娠すると男が産褥(出産用の寝床)につく真似をする風習をともなう地域があり、couvade(擬産)と呼称される。
医学的には、男性が妊婦のマタニティ・ブルーと同じような症状、すなわち嗜好の変化、吐き気、めまい、頭痛、食欲不振、体重の変化、感情の変化、睡眠時間の変化などを総称してクーヴァード症候群(couvade syndrome)と呼ぶことがある。



Couvade syndromeもきちんとまとめられています。

男性のつわりはpsychosomaticに説明するしかないのですが、元々読んだ他の民族の例では、男性のつわりが強いほど女性のつわりは軽くて済む、また、男性のつわりが強いほど女性への愛情やケアの強さを示している、という風に理解されるようです。
その事を知っていて潜在意識で何かが働いていたせいかもしれませんが、自分自身の子供のときに男として軽いつわりを経験しています。

わかばまーくくらぶ 1000人以上のつわり体験談では、
夫、家族のつわり??体験談というページがあり、

すこし眉唾的なもの?もふくめて、結構面白い体験談が数多く寄せられています。

例)KLMさん  05/10/05
4回の妊娠のうち、2回目・3回目・4回目の妊娠は、主人が先に気がつきました。主人は私が初めて妊娠をしたときに、日常であまり体験することのない船酔いのような、おかしな感覚を味わったと言っていました。
そして2年後、またその感覚に襲われたので、私に「お前、妊娠したんじゃないか?」と冗談交じりで言いました。しかし、実際検査して見ると、なんと陽性!妊娠6週目になっていました。そして3回目、4回目の妊娠もそのようにして主人に教えられました。


babycom お産の民族学では
つわりが激しい夫を持つ妊婦はつわりを経験しないという話もある。これは、現代でもみられる現象で、気の弱い男性に多いといわれている。


という表現があり、自分は気が弱いのだ.と再確認。

“つわる”という言葉は、初潮の頃のこと、すなわち成熟する寸前の状態のことを意味する。また、木の芽が出て花のつぼみがふくらむことを“つわぶく”というところもあり、いずれも完熟一歩手前の状態を意味するところから“つわり”の語源はきているといわれている。



猿でもオスざるの体重が増えるという現象がある
【ファンキー通信】男だって、妊娠中はつわりになっちゃう!
2006年02月23日00時07分


生物医学的には説明できないと思いますが(もしかしたらそのうちできるようになるかもしれません)、mind-body connectionを前提に医療を行うのがgeneralism。医療文化人類学的には簡単に説明できてしまう事ですし、その立場からは更年期の症状も日本ではかなり他の文化と違った症状を示す事が知られています。(生物学的な理由だけで生じるのなら、それほど大きな人種差はみられないはずです。この話はまた日を改めて。)

言い古された事ですがが、言葉はあるものにその社会や文化についての意味付けを持たせるための「記号」であり、病名や症状もその例から漏れることはないのです。(その事を忘れてしまっているために、医療現場で多くの齟齬が生じています)

2009/09/22

    やっぱり3つのうち2つまで。




2007年10月12日 誠実なお店の看板 秋元@サイボウズラボ・プログラマー・ブログより。

バイク店にかかっていた正直な看板の写真だそうで。

「良いサービスを、安く、早く。3つのうちどの2つでもお選びいただけます」

良いサービスを安く、という場合は時間がかかります
良いサービスを早く、という場合はお代がかかります
とにかく安く早く、という場合はサービスの質を落とさせていただきます


医療政策を少しかじっているとピンと来るメッセージです。


2つまでしか選べない「コスト」「アクセス」「質」
週刊医学界新聞
第2469号 2002年1月14日
【特別寄稿】
理念なき医療『改革』を憂える
第1回 日本の医療費は過剰か?
李 啓充(マサチューセッツ総合病院・ハーバード大学助教授)


 
米国オレゴン州の低所得者用医療保険「オレゴン・ヘルス・プラン(註)」の管理部局には,「Cost, access, quality. Pick any two(コストとアクセスと医療の質。このうち,2つまでなら選んでもよい)」という言葉が額に入れて飾られているが,この言葉ほど医療保険政策のエッセンスを的確に言い当てた言葉はないだろう。
 「コストを抑制してアクセスも保証して質もよくする,3つとも同時に達成することなど夢物語だ」と,言っているのであるが,英国の場合はコストを抑制しすぎたがために,手術待ちが著しく長くなるなどアクセスが障害されたのである。このオレゴン・ヘルス・プランの「2つだけルール」を日本の医療に当てはめたらどうなるだろうか。


日本医師会 李医師 講演資料9ページ目 (pdf)


再度、最初に出したブログから

ソフトウェアの開発も同じことで、3つを同時にいくらでも満たすのは無理。できますと言うエンジニアがいたら詐欺師かダンピングのどっちかだろう。

機能とコストと納期は、x-y-zの三軸に張り付いたゴムの膜みたいなもので、一つをグーッと引っ張ろうとすると、他の二つがつられて短くなっていくものだ。

相手が顧客でも営業でも、それまで無かった新しい制約条件を追加されたときに、「それを実現すると、代わりにこれが犠牲になります」と言えなければ、プロジェクトを制御しているとは言えないと思う。

そういう意味で、この看板はただの冗談じゃなく、「誠実」と思った次第。


開き直る訳ではないけれど、限られた資源の中ではやはり3つともは無理だと思います。
そのときに、国は、国民に3つともは無理ですよ、という事実をきちんと示し、医療政策としてどの2つを優先するのか(どのひとつを、後回しにするのか)ということを決めていかなければ、何をやるにしても中途半端になってしまうような気がします。そして国が決めた2つの優先軸を基本方針としてきちっと提供するのを国立、県立、自治体立などの公的医療機関できちっとやっていく。そうすると民間はまた動きがとりやすい、うちは国が後回しにした○○を優先します。ということで、うまく住み分けもできる。

世の中のものやサービスで3つとも成立させたものどれだけあるでしょうか?

検索用キーワード:Good、Cheap、Fast

2009/09/21

    芸術と医療は両立するのか

芸術家の仕事は観客(聴衆)にできるだけ自由な解釈の余地を提供する事。

シンガーソングライターが歌を歌う時、その作り手の元となった体験や考えは特定のなにかに根ざしているのだが、発信された瞬間に1000人の聴衆がいたら1000人がそれぞれ自分の体験との交点で自分なりの解釈をして共感する。別のシンガーがそのひと独自の解釈でカバーされて、全く新たな作品になりでもしたらそれほど本望なことはない。歌に限らずどのような芸術家でも同じ。

モノ作りはある程度その形態と機能が使い道を規定してしまい、それはアフォーダンスという意味では最も成功した形なのだけれど、逆にそれ以外の使い道(解釈)を許さないという自由度のなさを意味する。(まれにiphoneのような電話機能以外は持ち主がそれぞれらしい使い方をアフォードする、という例もあるが)。

芸術家は、特に大衆性の高い芸術家は、非常に「私的な」な体験からスタートするにもかかわらず、その表現の形をできるだけ多くの人がそれぞれの「私的な体験」と結びつけられるような、最も解釈の多い形で発信するという意味で、「インスピレーション」を提供する仕事といえる。ある意味「誤解」や「齟齬」は歓迎されるものである。

再度まとめると、芸術家は

発信者の「私的体験」ー(1)ー>最も解釈の可能性の広い「普遍性」(自由度が高い)ー(2)ー>受信者の「私的体験」

の(1)のプロセスにその仕事のほとんど全ての努力を費やしている。そこがうまくいけばいくほど(2)は労力を必要としない。

一方医師の仕事は、医学という普遍性、しかも受け手が自由に解釈をする可能性を限りなく少なくしなければならない普遍性を取り扱うため、最も自由度の低い普遍性(受け手が交点を見つける事が困難な)と様々な感性を持つ受け手(患者)との交点を見つけ出し、紡ぎだす、という作業をする仕事である。つまり上記の(2)に労力の多くを費やしている。

ある個人が最も自由度の高い(解釈の多い)普遍性を生み出すためにその労力の多くを費やす芸術家の仕事と、最も自由度の高い(解釈の少ない)普遍性を、できるだけ多くの感性と結びつけることにその労力を費やす医師の仕事(ある先人はdiseaseとillnessの擦り合わせと呼んだが)の両立を目指して芸術的に医療を行おうとするとき、次のような共通点を見いだす。

芸術家は最も自分らしいやり方で自分を表現する(つまり、それぞれがそれぞれの感性でそれを解釈できるようにする)事で、聴衆はそれぞれが「自分はありのままでよいのだ」というメッセージを受け取る。つまり「自分らしくある事」をアフォードする。

医師はそれぞれの患者が最も自分らしく人生を送れるようにその妨げとなり得るもの(病気や障害)を除去したり、軽減できるよう手助けをする。その手助けのやり方にはそれぞれの医師の「自分らしいやり方」を持ち込む事ができる。(ただし相手にもそれなりの努力を要求する、という意味でアフォードする事からは残念ながらほど遠い)

芸術家も医師もその人がその人らしくある。という事や人生や生きている事のすばらしさを確認するための手助けをする仕事という大きな共通点を持っている。

芸術家の端くれが

佐野元春のザ・ソングライターズ


のような番組を見ていると、ついそんな事まで考えさせられてしまう。

また難しい事を難しく書いてしまった....