2010/01/01

    私が次の患者さんを呼び入れる際に立ち上がって自ら診察室のドアを開ける8つの理由

自分の診療でずっとこだわってやってきていることのひとつに、自分が立ち上がって診察室と待合室を隔てるドアを開けて待合室の中から次の患者さんを見つけてお呼びする。という行動があります。実は自分の施設でも全員がやっていることではないので、僕の外来についた学生さんや研修医の方はカルチャーショックを受ける人がいます。

1)歩み寄りの気持ち。本来医師が患者さんの自宅や職場へ伺っての診療があるべき姿である(その方が素(す)の状態が見られる)が、様々な制約でそれは難しい,ならば医療機関まで来てくださっている訳なので、せめてもの気持ちとして最後の何歩か、数メートルかは私の方から患者さんのいるところへ歩み寄りたいという少し申し開き的な,言い訳的な。

2)素の姿を見る。患者さんは医師の前で様々な演技をなさいます(意図的でなくても)。待合室ではそうでもないのに放送で呼び出されて診察室に入ってくる段になってからこれ見よがしに辛そうにはいってくる人、逆に通院の長いよく知った医師が忙しそうなのに気を使って、待合室では横になりたいほど辛いのに、全くそういったそぶりを見せずに気丈に振る舞おうとする人。顔の表情もいろいろな意味で作っている方も多いです。こちらがドアを開けて呼べば、患者さんにとっては不意打ちになるが、素の状態を観察することは非常に重要なのです。

3)家族ダイナミクス、家族関係など(同伴者との関係)を見る。たとえ受診は一人だけなのに夫婦で一緒で来られる場合、高齢者の方の足として娘さんや息子さんが一緒に来られる場合、中高生の子どもを親がつれてくる場合など同伴者がいることは多いですが、来ているにもかかわらず、診察室には入ってこない場合が多々あります。診察室のなかから呼び出し放送で呼んでしまっては、この「入ってこない同伴者」の存在があるのかないのか全く見えません。入ってこられないのは、受診者のプライバシーに同伴者が配慮している場合もあれば、同伴者が一緒に入ろうと立ち上がったところを受診者が制して一人で来ようとする場合もあります。またこれまでの別の医師の受診で何らかの良い/悪い体験があってそのような受領行動が形作られている場合などいろいろな理由があると思いますので,無理強いはしませんが、少なくとも同伴者が入ってこようとしない場合「一緒にいかがですか」と提案はするようにしています。ドアを開けて呼び入れたときに受診者と同伴者がとる行動でその二人の関係がどのようなものか少し推し量ることが出来ます。また同伴者が家族とは限りません。友達やそれ以外の大切な人の場合も。これは4)につながります

4)その他の人間関係を見る。これは,意図しなかった効果。地域密着でやっていますので、私の患者さんを呼び入れようと診察室のドアを開けて待合室を覗くと、今呼び入れようとしている患者さんと,それと数人あとの名字の全く違う僕の患者さんがなかよく雑談している風景を良く見ます。これも必ず呼び入れたあとでどういう関係かお尋ねして、出来るだけ診療録に書き留めておくようにしています。「実はお隣/近所なんです(住所を見ると実際そう)」「遠い親戚なんです」「ダンス教室で一緒だったんです」、70代の方同士で「小学校時代の同級生なんです」などなど。以前50台で娘さんがいるはずのない方が若い女性と同伴で(もちろん診察室へは一緒には入ってこない)、おそるおそる関係を尋ねたら,昔その娘がいろいろと警察のお世話になったりした(かなんかそのような)時に、いろいろと面倒を見てあげたとのこと。まあ医師用の説明かもしれませんが。うちの電子カルテには家族図を実現する機能すらありませんが、近所や幼なじみ、趣味友達などまで把握してこそ家庭医の醍醐味。

5)脚力、歩行などを見る。高齢者,リハビリに来ている人、ねんざ、腰痛などの回復などの様子が見られる。2)とつながりますが、名前を呼ばれて、座った状態から立ち上がる所にどのぐらいかかるか、診察室に入ってくるまでの歩き方、どのぐらいビッコを引いているか,無理しているかなど自然に観察することが出来ます。口で「大丈夫」といってても歩き方に出ます。また特に足腰の訴えがなくてもその立ち上がり方や歩き方で虚弱高齢者の転倒リスクを拾い上げて先にリハビリを導入したり、パーキンソンなどの神経疾患を見つけることもあります。

6)患者さんへの忠誠(loyalty)を示す。患者満足度につながる。受診するべき医師が制度によって制約されない日本だからこそ、医師としてはずっと自分のところに通ってきてほしいというのはあるはずです。互恵性(何かしてもらったら返したい.give & take)の法則を考えれば、loyaltyが欲しければまずloyaltyを示す。give & takeはgive先にあることには理由があります。1)に関連しますが、普通はそこまでしてくれるドクターはいないので「私の先生はわざわざ呼びにきてくれる」といった特別扱いされている感を与えます。もちろん自分のところに来てくださる患者さんは特別扱いをします。日本中どの医者へ行っても費用負担は同じなのに自分を選んでくださる訳ですから。耳の聞こえない患者さんにも配慮できます。目が合ったところで手招きするだけ。それから、耳が聞こえる方でも僕の診察室のドアが開くと「次は自分かな?」という具合にこちらを見る方が多いので、目が合ったらそのまま名前を呼ばずに「どうぞ」と招き入れることもあります。これは個人認識の上では多少リスクがあるのですが、大病院ではあり得ない「顔パス」の状態を作り出すことで、最高のVIP待遇が提供できていることになります。また、大病院の外来で仕事している人には特にお勧め。両隣は言うに及ばず同じ列の診察室のどのドクターもやっていない状況なら、本当に特別扱いです。他のドクターを待っている患者さんは羨望の目で。私の患者さんは鼻高々です。

7)その半コマのタイムマネジメントとして。8)につながりますが、その日の予約患者さんがどのくらい既に来て待っているか、新患の患者さんはどんな人か、外来のペースが送れているときに、待ち時間が長くて怒っている人や疲れている人はいないかといったことをさっと確認しています。通常、1時間遅れることはまずないのですが、突発的なことでたくさんの人が既に受付を済ませて待っている状況になったら、患者さんを呼ぶためにドアを開けるとその4−5人(場合によっては7−8人)の既に受付を済ませた患者さんが一斉に「次は自分が呼ばれるのか?」という雰囲気で刺すような視線をくださいます。ですからあまり待ちの人が多い状況になるとその視線が怖くて,放送呼び出しにしてしまいます。つまり、自分の中では予約外来で放送呼び出しをしている時は、その時点でそのコマのタイムマネジメントがうまくいっていない,ということの表れなのです。ですから、いかに放送呼び出しをせずに外来をやり遂げられるか,という自分にとってのプレッシャーとして利用しています。自分の心理状態(余裕があるかないか)を示すバロメータとしても機能しています。「今日も一こま,胸を張って全員直接お迎えできた」というのが自分への勲章。

8)現在は施設の管理者の立場もつとめているので、やはり全体の待ち時間も気にします。現在の施設は診察室が複数あって複数の医師が診療をしていますし、当日飛び込みの患者さんもたくさんいます。その時間帯の待合室がどのぐらい混んでいるか、ぐったりしている人や苦しそうな人,怒っている人などいないか。もちろんこういったあたりは受付、看護師なども気を配ってくれていますが、目が多いにこしたことはありません。

直接診察室の外へ出て待合室を見ながら患者さんを呼び出すことで得られる情報量とメリットは計り知れません。

欠点は時間がほんの少しよけいにかかることです。でも一人30秒程度ですから半日で20人なら10分余分にすぎません。10分余分にかけるだけでここに書いただけのメリットと情報量が得られるのですから、しない理由はありません.

例外は上記の様に、自分に余裕がないときと、初診患者さんです。初診患者さんは顔を知らないので探すのが大変なのと,その分声を張り上げないといけないからです。放送呼び出しです。

米国は既に診察室に患者さんが入っていますし,入るときはノックをしてから入りますから、上記の多くのメリットを放棄しています。そこからは「効率」が得られるのですが....

2 コメント:

Hidenori Hatto さんのコメント...

2年前に現在のクリニックに異動してから、患者さんを呼び入れることをしていませんでした。
というのも、以前のクリニックは診察室のドアを開けるとすぐ待合室だったのですが、現在のクリニックは診察室のドアを開けると処置室があり待合室までは8mほどあり、呼びに行くと時間のロスが・・・と思っていたのですが、考えてみれば、わずかな時間です。
環境もありますが、何が大切なのかを考えつつ、どういう風に振る舞うか行動指針を立てる必要があるなと思い直しました。
ありがとうございました。

abitofwonder さんのコメント...

私は総合病院で総合外来を担当していますが,ほとんどが予約外の初診で「飛び込み」です.
なので,逆に1st touchのときに迎えに行くようにしています.ただ,ERのwalk-inを間借りしているので,待合から診察室まで10m以上と遠いのが少し難点です.
幾つかのメリットは頭にありましたが,ここまでとは思いませんでした.参考になります!