2008/08/18

    楢戸健次郎先生のこと・家庭医は腰を据えてじっくりと.

「ただ日本のようにこれがいいとかあれがいいといってすぐに出来るわけではないので,うちの団体では,はじめの3年間は,極端なことをいうと活動するなと言われているのですね.はじめは言葉を覚え,友達を作り,問題がどこにあるかをしっかり見なさいと.今までの経験だけでものを言ったら間違える,ということで,新しいところにったら3年間は黙っていなさいと.そして次の3年間で,その問題の1つでもいいから,地域の方々と一緒にそこにある資源を使って解決する努力をしなさいと.さらに次の3年間で,その地域の方々にバトンタッチしなさい,という団体なのですね.
(中略)
私が帰ってきてしまったら,またなくなってしまったというのでは何もならないので,向こうの方が出来るものを少しずつ提案していくような形でやっていきたいと考えています.」


『月刊地域医学』 というコアな雑誌(地域医療振興協会)より.(かなりおもしろいので毎月楽しみに読んでいます.)

Vol.22.No.8 2008
Interview「日本の家庭医の先達が,今,ネパールで新たに挑む」

として,楢戸健次郎先生のインタビューから.自分が一番印象を受けた下り.

今はあまり知る人もないのかもしれないが,楢戸健次郎先生は日本の家庭医としては先駆け.

以下はインタビューからの要約.

海外医療協力を元々やりたくて,そのためには全科ができないとだめだろうと考えていたとのこと.
学生時代に,(恐らく1960年代後半)米国で家庭医療が専門として立ち上がるのを目の当たりにして,その当時に作られようとしていた米国の家庭医療の研修プログラムと同じような物を日本で自分で構築.卒後2年は内科研修の合間に外科のopeに参加,週1日の休日に産婦人科の研修.3年目からは北海道で小児科1年,外科,整形外科系の診療所で2年.また東京に戻って産婦人科,皮膚科,眼科,耳鼻科等を含め,計7年半で,自分なりに家庭医の初期研修にピリオドをつけたと.

その後北海道新冠の国保病院で内科小児科産婦人科を担当,健康管理課の課長補佐を兼任,老人病棟の開設,学校医,産業医の勉強をしながら4年半.

それからたまたま無医村になった地域の美流渡診療所(2500人)でグループ診療を開始.(卒後10年ちょっとと推測)
ここへ行ったのは明確に3つの目的があったとのことです.
1.人口の出入りのない地域で医療の実践をやりたかった(家庭医はdefined populationを責任を持ってケアするという意味で,救急医と区別される)
2.海外で一般的になっていたグループ診療を試したかった.
3.家庭医は日本でも受け入れられるか試したかった

長い間美流渡で診療をされた後(20年以上),後進にに現場を引き継いでようやく,学生時代からの念願の海外医療協力のために,ネパールへ.

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そのほか家庭医療学会の前身である家庭医療学研究会の発起人だったり,数年だけ続いた家庭医療という幻の雑誌の立ち上げ役だったりといううろ覚えの僕の記憶.

現在とは隔世の感のある当時に,学生時代に家庭医を明確に目指し,その研修を自ら組み,グループ診療を意図的に開始,など先駆的なその功績はその価値は測りしれません.

個人的には一度だけ医学生・研修医のための家庭医療学夏期セミナーでお話を聞いたことがあるだけですが,非常に穏やかな方だという印象を受けました.

楢戸健次郎ワーカー報告会実施中

楢戸先生については

地域に根ざした家庭医を見学して

地域医療に取り組む

〔座談会〕家庭医になりたい君へ(このメンバーの全員がHANDS関係者となってしまいました)

で少し知ることが出来ます.(以前医療ルネサンスの家庭医の特集で取り上げられていましたが,ネットでは見つけられませんでした)

そのような背景を踏まえて,

はじめの3年間は,極端なことをいうと活動するなと言われているのですね.はじめは言葉を覚え,友達を作り,問題がどこにあるかをしっかり見なさいと.今までの経験だけでものを言ったら間違える,ということで,新しいところにったら3年間は黙っていなさいと.そして次の3年間で,その問題の1つでもいいから,地域の方々と一緒にそこにある資源を使って解決する努力をしなさいと.さらに次の3年間で,その地域の方々にバトンタッチしなさい


これは何も外国に限ったことではない.日本中にたくさんの文化圏があり,様々なお国言葉がある.

家庭医の研修制度が進み,最短で初期2年+後期3年で,一通り家庭医の基礎は作れるようになったが,それから家庭医として本当の意味で地域で何かをするには9年かかるということ.そのぐらいの腰の据え方で.

地域に出た若き家庭医たちよ.まだ皆さんはその地域の「言葉を覚え,友達を作り,問題がどこにあるかをしっかり見る」段階でしかない.「今までの経験だけでものを言ったら間違える」から.

家庭医は腰を据えてじっくりと.

冒頭のインタビューは数ヶ月後にそのHPで読むことが出来るようになると思います.

2 コメント:

Hidenori Hatto さんのコメント...

私も、今のクリニックで外来を始めてから、もうすぐ3年になりますが、2年半を過ぎた当たりから、患者さんとの関係の変化に気づくようになりました。継続性のおかげなのか、私がより家庭医の診療をできるようになってきたからか、おそらく、その両方なのでしょうが、「腰を据えてじっくりと。」という言葉が身にしみます。自分の家庭医としての成長も感じられるのがいいですね。やっと、指導医らしくなってきたような気がします。あと、夏期セミナーでもお話ししさせて頂きましたが、長くいればいるほど、本当に、地域から離れがたくなりますよね。

匿名 さんのコメント...

 もともと「いらち」な私は、3年間周りを見渡すことに費やすことができません。
 これまで、それで多くの失敗をしてきたので、周りのことを知ってから行動に移すという重要性は、少しは学びました。楢戸先生のおっしゃることは、その通りかと思います。
が、いかんせん、変化は待ってくれません。そのスピードも速くなってきています。何しろ、患者さんのニーズの高まりたるや、天井知らずです。
 周囲をの関係を作るなかで、その間に何が問題で、どうしたらいいか、誰の協力が必要か、Resourceは何が必要か等を考え、進められるものはどんどん進めていくということも、今後は必要になってくるように思います。
 変化を起こすには、自分が先頭に立つ必要はなく、すでに取り組み始めている人をせっせと応援していく、動きだしそうな人を後押しするなど、いろいろな方法があるんだなぁと、この1年で学びました。
 さて、新しいところでどうなるか、またご報告します。