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2009/09/30

    Integrated Healthcare Networkにおける家庭医療クリニックの貢献とこれからの課題 その後

家庭医はinterface(接触面)を扱う仕事という発言を時々しています。

当直明けや勤務交代での申し送り(hand off)でよく、情報のもれや勘違いが生じ、医療の質低下の原因となることが最近研究のテーマとしてもよく取り上げられています。

当然,医師の間での紹介、逆紹介のときにも同じ事は起こりえます。紹介状の書き方などが重要です。その問題を少なくするひとつの方法論として Integrated Healthcare Network:IHNという方法が模索されているのは以前のエントリーで紹介しました。

大病院が力のあるプライマリケア部門をその内部に持つ事の利点、欠点について一年ほど前にまとめさせて頂きました。

ほぼ一年前のエントリー

2008/10/06  Integrated Healthcare Networkにおける家庭医療クリニックの貢献とこれからの課題

2008/09/22    日経産業新聞フォーラム2008

の本文、そろそろ解禁です。

Integrated Healthcare Networkにおける家庭医療クリニックの貢献とこれからの課題 【家庭医療クリニックと病院の連携例:亀田ファミリークリニック館山】 病院 特集「病院と家庭医療」 Vol....

2009/09/29

    Lynn Carmichaelの死亡記事から米国家庭医療の歴史をひもとく

歴史をひもとくのは懐古趣味だからではありません。歴史は勝者によって記されたものである(勝てば官軍)という事はありますが、それでも、予想する事のできない未来に対して最善の決断をするための重要な示唆が得られるからです。
また、継続性を大切にし、Contextを重要視する診療をする家庭医として、現在の自分や家庭医療という学問の立ち位置が大きな歴史的な流れという継続性の延長線上、現在どのようなcontextの中であるのか、という視点を踏まえて考える,というのはごく自然な流れでもあります。

最新号のFamily Medicine誌より。

John Frey, MD.  “Who Is Going to Take Care of the People?” Lynn Carmichael and His Times (Fam Med 2009;41(8):552-4.)(pdfです)

今は米国の家庭医すらLynn Carmichaelの事を知る人は少ないでしょう。私がFaculty Developmentの話をするときに必ず「予言」を引用する人です。

1967年 Lynn Carmichael「この新しい分野はすぐに教師に対し ての切実な,増大する必要性に直面する事になる.現実的には全ての教師が臨床からひっぱりこまれ,教育の経験のあるものはほとんどいないだろう」


米国の家庭医療の誕生は1969年です。その数年前に、この分野の急成長を予測しての発言です。最近の日本のgeneralistの指導医不足の状況とよく似ています。

彼がどういう人か。

北米家庭医療の創始者の一人。STFM(Society of Teachers of Family Medicine)の発起人。雑誌Family Medicineの最初の編集長。北米の家庭医の最初のレジデンシートレーニングの設立者。しかもそれらの仕事を35歳から40歳の間にやった。というとそのすごさと重要性が伝わるかと思います。

Founding President Lynn Carmichael, MD, died on June 19 at age 80

今年6月に彼が天に召されたということで、やはり北米家庭医療の創始者の一人であるJohn Freyが彼を忍んで当時の状況とともにまとめた追悼文が先述のリンクです。

まずは,当時の米国と米国家庭医療の状況に関する記述を彼の生涯と絡めて抜き書きしてみましょう。

*1960年代 テクノロジーと専門分化の波の中でGP(General Practitioner:現在の英国などでの他の専門分野と同程度のトレーニングを受けたgeneralistという意味ではなく、短期間のインターンシップ的なものだけで、開業してしまう人たちをそう呼んでいた)達の中で意見が割れていた(このまま幅広く診ることをつづけるか、それぞれが専門を持つか)

*当時のGPの団体AAGP(American Academy of General Practice)は1971年に最終的に家庭医療という専門としてやっていこうという決議にこぎ着けるまで1961年からの10年で6回この動議を否決している。(そういう意味では,日本の3学会の合併はましな方でしょうか)

*1年間ハーバードの小児科講座でフェローとしてFamily Careについて学んだその仕上げとして、1965年に彼が米国の歴史では初めて家庭医の育成に関する論文を発表(ちなみにJAMAに発表.日本では日本医師会雑誌に相当)

*AMA(American Medical Association: 日本医師会に相当)が市民団体を助成し卒後教育に関する報告書の提出に至る.(この報告書はMillis reportと呼ばれ、家庭医療の設立に重要な役割を果たした当時の3つの報告書(Millis, Willard, Folsom)のうちのひとつ。
"Primary Physician"というのを養成しましょう。というのが骨子。全文は以下で。ありがたい事です。
Mills report on Citizens Commission Graduate Education

*AMAはこの時期に,医学教育に関する委員会にこの報告書の内容をふまえたレジデンシー改革を周知徹底するためにだれかを採用するよう依頼、彼とLee Blanchard(彼も北米家庭医療の歴史では重要人物です)がその仕事を任せられ,全米中を奔走。

*レジデンシープログラムとして家庭医療が認められるためには最低15のプログラムが必要という事で、自分自身がひとつを設立。

*当時はプログラム認定基準も国の補助金も大学の家庭医療学講座もなく、当時なんとなく実施されていた2年間のGPレジデンシーを借用、内科や小児科と同レベルにするために一年追加して3年にした。そして,最も改革的だったのは研修の現場を地域に設定した。そしてその研修サイトを'model family practice clinic'と呼んだ。
(この辺りはプログラム認定の前で認定基準のなかった頃からレジデンシーを運営していた頃の自分やそのずっと前から、先進的に教育診療所として奈義ファミリークリニックを作った川崎医科大学総合診療科のこととかぶります)

*1968年の12月ぎりぎりに15のプログラムをなんとか確保。AMAが家庭医療の卒後研修を開始する事を承認。

*同時期に、AMAにいた同僚から、学問として家庭医療を追求する団体を設立する事を考慮するようアドバイスを受け、1967年の10月に45名がニューヨークに集まり、STFMを設立。命名はLynn Carmichael。

*家庭医療の理論形成と組織形成のこの過程で、多くの他職種(教育者、精神科医、ソーシャルワークなど)を巻き込んだ。彼の設立したレジデンシーの指導者はこれらの多職種で構成されていた。

*他職種が必要だという信念からSTFMは当時はほとんどの団体が医師のみの団体だったにもかかわらず、意図的に学生やレジデントの教育に関わった人間を全てメンバーとするようにした。

*当時、家庭医の育成のリーダーとなったのはほぼ全員が30代半ばから40代半ばだった。

*1968年からほぼ40年で合計90385名の家庭医がレジデンシーを修了した。

今これらの史実から我々が学べる事は何でしょうか。(あえて書きません)

もちろんこのarticleには彼の人柄が垣間見えるエピソードがいくつもちりばめられており、当時の医師像とは一線を画する飾らない、威張らない、聞き役に徹する、しかし信念は譲らない人である事が伝わってきます。

若いエネルギーは家庭医療学会にあります。しかし多職種でなければならない,という信念はプライマリケア学会に一日の長があります。
米国の家庭医療創設はアメリカ医師会(AMA)なしには起こりえませんでしたが、日本医師会は40年後に「日本の家庭医療の確立は日本医師会なしには不可能だった」といわれるか、「日本の家庭医療の確立は日本医師会の少なくとも2度の妨害行為にもかかわらず日本プライマリ・ケア連合学会と市民によって達成された」となるか。

今月号のFamily Medicine誌はもうひとつ興味深い投稿がありましたので追って。

2009/09/15

    2009年 プライマリ・ケア関連学術集会連合学術会議 京都. 2009年8月21日-23日(今年も学会賞頂きました)

怒濤の8月が終わりその残務処理をしていたらあっという間に9月も半分。
残務処理は何も生まないようですが、fidelityを上げるために必要な作業です。

「僕の前に道はない。僕の後に道はできる。」
いい加減に歩いたら消えてしまうかもしれない足跡をしっかり付けて、できた道を明確にする作業です。

共同発表者全員の了承が得られたものだけWEBにアップしてあります(後半にリンクを張ってあります)。今回、
2009年 プライマリ・ケア関連学術集会連合学術会議 京都
で行った発表、WSは4件。
そのすべてが僕の力だけではなし得なかった事です。主役は共同発表者の人たちです。僕はアイデアとアドバイスをできる限り提供して、よりよいものに、その人のポテンシャルが最大限に引き出せるようにする仕事です。

*若林 秀隆 、喜瀬 守人, 岡田唯男. 学会賞候補演題(口演)「FMCD-1 家庭医はリハビリテーションにおいてどのような臨床能力を必要と考えているか」 (学会賞受賞)
http://www.scribd.com/doc/19730168/2009-

*本山哲也、清水幸子、鈴木真、岡田唯男. 学会賞候補演題(口演)「FMCD-3 家庭医による妊婦ケア – 日本の家庭医はどこまでできるのか? - 」
http://www.scribd.com/doc/19730171/FMCD3-2009-

*大石愛、関根龍一、岡田唯男、林章敏、長美鈴、岡崎正典、櫻井宏樹. ポスター 「PS05-2 家庭医が遺族ケアとしての外来継続を行った一例~家庭医が提供できるグリーフケアの可能性について」

*伊藤彰洋、岡田唯男. ポスター 「PS23-2 後期専門研修プログラムにおいて侵襲的手技を行うにあたり、指導医による直接観察による評価と指導の機会を増やし、患者への安全性を向上させるシステム作りの試み」
http://www.scribd.com/doc/19730172/-2009PC-

*WS: ジェネラリストのための総合的な学習の時間~前立腺がんのPSAスクリーニングを題材に~ (委託ワークショップ. 伊藤彰洋 小宮山学 池尻好聰 栗原大輔 寺内勇 平洋  家研也  竹内治氏と)

幸い、昨年の、
日本家庭医療学会 学会賞 受賞!
に続き、今年も学会賞を頂く事ができました。

研究はチームの成果なのに、賞状は主発表者の名前しかないのは納得いきませんが。
ついでに、自分の経歴もupdate.

学術活動
http://mywiki.jp/familydoc/Multifaceted+Tadao+Okada/%8Aw%8Fp%8A%88%93%AE/

論文・執筆活動
http://mywiki.jp/familydoc/Multifaceted+Tadao+Okada/%98_%95%B6%81A%8E%B7%95M%8A%88%93%AE/

学会そのものは合同学会としてはこれが最後で、来年からは日本プライマリ・ケア連合学会として合併をして、その学術集会として再始動、我々の業界では歴史的な出来事が続いています。

出来事の価値やその意味付けは後になってみるまでわかりません。ただいえるのは「勝者が記したものが歴史」ということ。これまでは。

これからもしばらくは混乱が続きますが、地面が固まるための雨と前向きにとらえましょう。


学会賞候補演題(口演)「家庭医はリハビリテーションにおいてどのような臨床能力を必要と考えているか:質的研究」2009年 プライマリ・ケア関連学術集会連合学術会議 京都. (学会賞受賞)


学会賞候補演題(口演)「FMCD-3 家庭医による妊婦ケア – 日本の家庭医はどこまでできるのか? - 」2009年 プライマリ・ケア関連学術集会連合学術会議 京都.

ポスター 「PS23-2 後期専門研修プログラムにおいて侵襲的手技を行うにあたり、指導医による直接観察による評価と指導の機会を増やし、患者への安全性を向上させるシステム作りの試み」2009年 プライマリ・ケア関連...

2009/09/11

    家庭医ポリデント論

木曜日の夜は家庭医療学の理論的基盤についてのカンファ。昨夜は先週から引き続き在宅医療、とくに導入時面接を切り口に。発表者は「安心」をキーワードに。場所が変わる.医療従事者が変わる。環境が変わる。安心とはその継ぎ目で継続性をいかに担保するかのこと。いかに家に帰る患者さんとその家族に安心してもらえるか、そのためには自分たち医療者が安心して病院の医師から引き継ぎをするかが重要、といった話に。

以前から家庭医は通訳/翻訳の仕事(違う言語の間を取り持つ)、もしくはコンピュータでいうOS(コンピュータの2進法の言語と、人間の言語を取り持つ)という主張をしてきました。

違うもの同士の接触面(interface)を扱う仕事。

難しい医学という学問と患者さんの生活というinterfaceを扱う仕事。

「そのもの」「そのこと」自身というより、それらを取り巻くモノ、コト、との関係性を取り扱う。

どこまでいっても関係性(relationship)をうまく取り持って整合させる仕事。relationship based medicineという言葉が思い出させる。

少し前に誰かとの会話で思いついたアイデア。

面と面との間(interface)を取り持って、うまく合わせる、という意味では家庭医はポリデント。

うまくやらないと間に物が挟まって痛いんです。


追記)通訳、OS、ポリデント一応僕が言い出しっぺという事にしてください。
追記2)ポリデントとは総入れ歯と歯茎の隙間を組まなく埋めて、噛みやすくしたり、その隙間に食べ物が入り込んだりしないようにする、ゲル状の接着剤のようなもの。

2009/09/07

    東京Jazzに行って学んだこと(Jazzと家庭医療の意外な共通点)

東京Jazzに行って学んだこと
東京Jazzという3日間のイベントに行ってきました(日曜の夜だけ)

http://www.tokyo-jazz.com/

情操教育の一環として子どもも連れて行ったのですが,19時開演で4バンドが出演予定.1つめが終わったところで50分+15分休憩...全部終わったら何時?

結局最後のバンドの途中で退出,勿論館山まで戻ったら深夜1時前.
子ども達よ済まん!明日(今日)学校・幼稚園なのに!
どうかjazzのこと嫌いにならないで.

Jazz playerとして,家庭医として色々と思うところがありましたので少し.

Jazzについて

1.現在のjazzは複雑になりすぎている.

芸術の一つである以上originalityを追求することが必要で,特にJazzはこれまでの流れに自分らしさを乗っけて新しい「何か」を生み出すことを要求されるので,ともすれば,「良い物を作るための破壊」ではなく「破壊のための破壊」になってしまっていることがある.
間違いなく自分ではマネなどできっこないレベルだがそれだけ.面白くない.
かなり自慰的なartistもいたように思います.すごいことは分かるが,理解できなくなったら一部の人だけの物になってしまう.
一方で3つめのLou Donaldsonのバンドはすごかった.昔のまま(60年代)の昔のヒットソングで,昔の通りやるんだけれど,観客の反応が最も良かった.観客が一番正直.the less is the more. the simple is the best.
jazzは小さなライブハウスで息づかいの分かるところで聞くのがベストなので,今回のような何千人も入るところではやっぱりダメだな,artistがあんなに遠いもん.そのせいで自分は面白くないんだ,と思っていたら,Lou Donaldsonは観客がみんな入り込んで,感情移入して.ホール全体が一体化.
Duke Ellingtonの言葉が思い出される.「世の中には2種類の音楽しかない.良い音楽と悪い音楽だけだ」

大衆に受けなくなればその芸術はそのまま廃れてしまう.

2.エンターテイメント(娯楽)と芸術

そんなことを考えながらコンサートを聴いていたら,死後まで価値の認められなかった画家ゴッホのことやら,理解されにくいピカソやダリのことを思い浮かべていた.
パリはもちろんのこと,東京の露店でも写実的なもしくは印象派ぽい油絵はそれなりに手軽に手に入る(勿論無名のartistだけれど).基本的な技術が有れば恐らく描ける類の絵.それは芸術と呼べるのか.そこに費やした制作時間(基本的な作業時間とキャンバス,絵の具代)以上の価値はあるのか.一方で現代美術館にあるようなコンテンポラリーアート(恐らくフリージャズや,現代の多くのjazz musicianはこれに相当する)は一見理解できない物も多く,お金を出す気も起きないか,ひょんな事でお偉い批評家に取り上げられて,とてつもない値が付くかのどちらか.
芸術家であること(originalityを追求すること)とエンターテイナーであること(大衆に広く受け入れられること)は両立するのか.
1つめのバンドは芸術的なレベル,技術レベルはとてつもなく高かったが,聴衆と分かり合えたか,聴衆に伝わったかは疑問.いわゆる自分の価値観の押しつけのような.(一方的なパターナリズムの医療の風景を見ているよう)

Lou Donaldsonは往年のテクニックにこそかげりは見えていたが最も聴衆とつながっていた.最も聴衆が喜んだ,満足した.

commodity化の話は以前も書いたので

  芸人と芸術家の違い(goods, service, experience)
これ以上は書かないが.

大衆性(大衆に受けること,幅広く行き渡ること)と希少価値(one and onlyであること)の両立は限りになく不可能に近いのではないかと考えている.
医療をやる上で,自分が家庭医としての技能を磨く上でこれが永遠のテーマのように思える.

家庭医療とのからみ
1.海外の大御所を呼べばそれで何とかなると思っている

確かに今回のチケットも最も大御所の名前の多い回を選んだのは自分なのだが(そのせいで子ども達に迷惑が),某大御所ピアニストはミストーンだらけ,某ギタリストとのコラボは明らかに打ち合わせ不足,しかも2人とも「こなし」「流し」の演奏.
忘れてしまっていた「年取ったかつての大御所の演奏は失望のことが多い」の原則を再認識することになった(勿論例外もあるのだが)
残念ながら,何千人というホールを埋めるには出来るだけ知名度の高い人を目玉に据える必要があるのだが,そういう人が最もコストパフォーマンスが悪い.限界効用逓減の法則ということもあり,有る程度の金額を超えると追加して投入する資源に対してのリターンはだんだん減ってくるが,出した金額に対しての見返りの期待は通常限界効用逓減が起きないので,期待と現実のギャップが大きくなる.図でかけるとよいのだが..

ともあれ,家庭医療に限らず,医学に限らず,海外の物・人が珍重されてしまうが,それはある意味人寄せパンダでしかなくて,ずっと効率よく近場から,質の高い講演や指導医を確保することは出来るはずなのに.
単発の講演やセミナーが気合いやエネルギーを注入する以上でも以下でもないことはもうみんな知っているはずなのに.

食べ物だけではなく,人という資源においても自給率(指導医国内自給率,指導医施設内自給率)といったことやフードマイレージに相当するヒューマンマイレージ(その講師,指導医を読んでくるのにかかるコスト)を考慮した,人的資源の地産地消(千葉県では千産千消といいます)を考えていかなければならないのではないか.

2.家庭医療とjazzの類似性

Clinical Jazzという教育法が家庭医療の世界にあります.臨床という医療行為とjazzとの相似性を良く表していますが,jazz playerとしては,jazzを知らない人がアドリブだコードだという表現を使うのを聞くことには何となく違和感があります.(非常に表面的に感じます)

私はjazzと家庭医療はもっと深いレベルで共通点を持っていると考えています.

jazz legendの一人チャーリーパーカーの言葉

Music is your own experience, your thoughts, your wisdom. If you don't live it, it won't come out of your horn. ~Charlie Parker
音楽はおまえ自身の経験であり,思考であり,知恵なのだ,音楽を生きるという行為なしに,それはおまえの楽器からは出てきやしない.

→人生経験が豊富でなければ,自分の人生と真っ正面に向き合わなければ,その人の医療行為も薄っぺらい物になる.

そして現代のlegend winton marsalisの言葉
jazzをうまくやるにはまず音を出すのではなく,周り・相手のいっていることを良く聴くことだ.それなしにjazzは始まらない.
→補足不要ですね.まず患者さんの話を良く聴きましょう

長くなりましたが,非常にコストパフォーマンスの悪かったコンサートで腹が立ったのでとっても批判的なエントリーになってしまいました.

それでも,大衆に受けなくなればその芸術はそのまま廃れてしまう.

さて振り返って,

家庭医療はきちんと大衆に受けること(患者満足度)とその芸術性(学問としての家庭医療と質の高い医療)の両立を目指しているか.


P.S. 成人はあらゆるところで学ぶのであった.

2009/06/30

    村上春樹 1Q84

村上春樹 同郷の人ということで親近感はあってもノルウェイの森以来、文体があわずにずっと敬遠しています。
今話題の1Q84、もちろんまだ読んでいないのですが、読売新聞でインタービューがあり、非常に興味深い込めとんとがあり、最近の私の考えと響き合うところがありましたので、引用します。

読売新聞2009年6月16日 インタビュー (上)

より

原理主義の問題にもかかわる。世界中がカオス化する中で、シンプルな原理主義は確実に力を増している。こんな複雑な状況にあって、自分の頭で物を考えるのはエネルギーが要るから、たいていの人は出来合いの即席言語を借りて自分で考えた気になり、単純化されたぶん、どうしても原理主義に結びつきやすくなる。スナック菓子同様、すぐエネルギーになるが体に良いとはいえない。自力で精神性を高める作業が難しい時代だ。

中略

ーーーー受賞スピーチ「壁と卵」で「個人の魂の尊厳を浮かび上がらせ、そこに光を当てるため」小説を書くと発言された。

作家の役割とは、原理主義やある種の神話性に対抗する物語を立ち上げていくことだと考えている。「物語」は残る。それがよい物語であり、しかる心の中に落ち着けば。例えば「壁と卵」の話をいくら感動的と言われても、そういう生のメッセージはいずれ消費され力は低下するだろう。しかし物語というのは丸ごと人の心に入る。即効性はないが時間に耐え、時と共に育つ可能性さえある、インターネットで「意見」があふれ返っている時代だからこそ、「物語」はよけいに力を持たなくてはならない。
テーゼやメッセージが表現しづらい魂の部分をわかりやすく言語化してすぐに心に入り込むものならば、小説家は表現しづらいものの、外周を言葉でしっかり固めて作品を作り、丸ごとを読む人に引き渡す。そんな違いがあるだろう。読んでいるうちに読者が、作品の中に小説家が言葉でくるんでいる真実を発見してくれれば、こんなにうれしいことはない。大事なのは売れる数じゃない。届き方だと思う。


引用ここまで

どうやら1Q84は、これからの時代ますます「物語」が必要になる。その主翼を担うのが作家だという主張に基づいた、「記憶に残る物語」を強く意識した作品のようですが、この「物語」とはナラティヴ(narrative)、もしくはストーリーのことです。そしてその重要性は家庭医療の世界ではずっと前から言われてますが、それ以外の分野でずいぶんと言われるようになってきています。

最近読んだ、
「健康によい」とはどういうことか―ナラエビ医学講座
で、再度evidenceとnarrativeの統合をどのようにとらえるかについて考える機会を持つことができました。2−3時間で読めますが、非常に頭をすっきりとさせてくれるものでした。

著者はナラティヴ3年エビ8年かかると言っています。僕はエビよりもナラティヴにずっと時間がかかっています。
著者の立場はNBMとEBMは補完、並立するものではなく、ナラティヴがEBMを包含するという考えです。これで行くと非常にうまく行く気がします。

そしてナラティヴは家庭医療の基本です。そのことは最近読んだMcWhinneyに非常にパワフルなナラティヴによって記されていました。
mapとterritoryの話。また追って紹介できることと思います。






1Q84 Book 1
村上 春樹
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ISBN: 9784103534228
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1Q84 Book 2
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2009/06/25

    ジェネラリストになろうとする際に感じる不安の元となるジェネラリストとスペシャリストの役割に関する6つの誤解 (McWhinneyより)

引き続きMcWhinneyを再訪しています。
我々が考えつくことというのは通常既に先人が考えついていて、答えが示されていたり、既に形になっていたりするものです。
表題通りですが、ジェネラリスト自身も、それになろうかと考える人たちも頻繁に出くわす批判や質問ではないでしょうか。あくまで見出しは「誤解」ですので間違えることのないよう。

pp23-27

1. ジェネラリストは医学の全ての領域をカバーしなければならない。
2. 医学のどの領域を取り出してみても、常に、その領域のスペシャリストはジェネラリストよりも知っている。
3. 専門分野に進むことで不確実性というものは除去できる。
4. 専門分化することにおいてのみ、深い知識(depth of knowledge)を得ることができる。
5. 科学の進歩によって情報量は増加する。
6. 医学における過ち、誤りは通常情報不足から起きる


だからスペシャリストになる方がよい、ジェネラリストになるのは不安というのは誤解に基づいた決断であるということです。(真っ当な理由でスペシャリストになるのは全然よいと思います)

McWhinneyとFreemanの主張を見てみましょう。(以下、岡田による意訳と翻案)

1. ジェネラリストは医学の全ての領域をカバーしなければならない。

ジェネラリストの知識はスペシャリストと同様に選択的(selective)である。スペシャリスト同様、ジェネラリストは自分の役割を全うするために必要な知識を取捨選択している。
(例:くも膜下出血において、ジェネラリストに必要な知識は、初発症状、早い診断と紹介に必要な手がかりについて。脳外科医は詳細な病理、診断と外科的治療の知識。当然、疾患によってはマネジメントまでジェネラリストが知っていなければならない場合もある)

2. 医学のどの領域を取り出してみても、常に、その領域のスペシャリストはジェネラリストよりも知っている。(どの分野でもジェネラリストはスペシャリストに知識量では勝てない)

これはジェネラリストの「どの領域をとってみても「これは自分たちの専門領域だ」と呼べるところがない」という感情の代弁であろう。しかしながらこれは真実ではない。我々は頻繁に遭遇する問題については非常に物知りになる。一方スペシャリストは疾患の非典型的な例について物知りになる。(非典型的なために診断がつかずジェネラリストから紹介されてくるから。大学病院や子供病院の小児科の研修医が一度も水痘の子供を診たことがない、というのと同様。予防接種の普及不足という問題は別にして。)時にジェネラリストは日常高頻度問題(common problem)の典型的な事例について、たとえ自分が答えは何か、どうすべきかわかっていても、家族のプレッシャーや不安などで、スペシャリストに紹介することがある。その時に意外とスペシャリストは疾患の典型的な例についてあまり取り扱ったことがないので意外とどうしたらいいかの知識がないことに初めて気付くことがある(フリーアクセスの日本では多少事情が違うかも知れませんが、それでも、同様の経験は多数あります。岡田注)
それらの現象は補完的である。なぜなら、ジェネラリストが紹介例を取捨選択するからこそスペシャリストのそのような知識集積体系になるからである。

3. 専門分野に進むことで不確実性というものは除去できる。(ジェネラルでやると、自分で解決できない場合も多くストレスがたまる。専門を持てば「わからない」「予測できない」ということはなくなるのでは)

北米家庭医療創世期の巨人の一人Gayle Stephensによると、「不確実性を取り除く唯一の方法は、その問題をもっとも単純な要素に落とし込み、その周辺領域との関係を絶つことである」と述べている。そして、このような仕事の仕方をする臨床分野があるとするとそういう領域はあっという間に価値を失い消滅する。


4. 専門分化することにおいてのみ、深い知識(depth of knowledge)を得ることができる。

depthとdetailを混同しないことが重要。深い知識(depth of knowledge)というのは、意識の質によって規定されるのであり、情報の中身ではない。
ここで例として、戦争において、目的とその戦術において議論すべき状況で、手に入る有刺鉄線とガソリンの量について議論していた上官の例を挙げています。depthとdetailを混同し本当の問題を見失っていたと。


5. 科学の進歩によって情報量は増加する。(であるから、1とも関連するが、ジェネラリストとしてやるのはどんどん不可能になる。)

1と同様、ジェネラリストをやるならすべて知っていなければならないという呪縛に縛られています(岡田注)。

逆であるとMcWhinneyは述べています。「もっとも未分化な科学の領域ほどもっとも情報量が多い」非常にうんちくの多い言葉です。今の新型インフルエンザの例を考えてみましょう。わからないことや真理がまだ無いからこそ、多くの調査報告が出てくるんですね。
Sir Peter Medawarを引いて、「サイエンスにおける具体的な知識量の負荷はその領域の成熟度と逆比例する。サイエンスが進むにつれ、個々の小さな事実はその大領域の中で理解され、ある意味、一般化しつつある根本理論の中に取り込まてしまう。つまり、意識的に明文化され、意識されなければならないものではもはやないとして。」(成熟している領域ほど、その上位にあるメタ理論的なものの応用で対応可能だったり説明可能だったりしてとりこまれてしまうから。ということです)

続けて、McWhinneyはinformationとknowledgeを混同してはならないといいます。informationは確かに指数関数的に増える一方だが、それらの多くはほとんど価値が無く、寿命が短く、スペシャリストに対してのみの技術的な興味のみであり、そしてその多くは、医学の本質的なknowledgeに組み込まれるか、最終的に否決されることになる仮説を検証するためだけのものなのである。と

6. 医学における過ち、誤りは通常情報不足から起きる

情報不足から起きる医療事故はあまり無く、多くは、不注意、思慮不足、無関心、傾聴しないこと、運用上の非効率、コミュニケーション不足等が原因で、その他の多くは、知識不足というよりは医師の態度や技術的な問題から起きる。もちろん一般の人は医師がいっぱい知っている方が良いに決まっているが、それが医療の質の高さを保証するわけではない。また、医師は情報をどのように得て、利用するかについても習熟していなければならない。

(中略)

最後に、付け加えておきたい2点として、
1.家庭医がジェネラリストだからといって、すべての家庭医が全く同じ知識と技術を持っているということを意味しない。すべての家庭医は患者さんに対して同様のcommitmentを持っているが、興味や研修内容によって、知識や技術は重ならない場合も多い。このことがグループ診療において、その診療所の豊かさの源となる。特に僻地と都市部でその違いははっきりするが、それは、自分たちの診療する地域の資源と患者のニーズによって適応を遂げた結果であり、どちらもその地域の患者と地域のニーズに合わせて、(結果として)包括的に対応している家庭医なのだ。
重要なことは、決して細分化に至ってはいけないということである。家庭医は多少分化しても良いが、細分化してはならない。その時点でジェネラリストの役割は失われてしまう。(言葉遊びかもしれませんが、differentiationはよいが、fragmentationはだめと。)

Family Physicians may be differentiated, but family medicine should not fragment. If it were to do,the role of generalist would be lost.

2.家庭医は臨床領域の境界を越えて活動するだけでなくさらに困難な境界も越える。それは医療と社会的問題の境界である。この境界は明瞭であることはほとんど無いために難しい。患者の問題はその上に馬乗りになっている。であるから家庭医は臨床医療とカウンセリングを行う専門家の境界面をうまく取り扱う責務を負う。

とされています。

これ数回に分けるべきだったかも知れませんが非常に深いので一気にやってしまいました。

中略の部分には
ニーチェが呼ぶところの逆障害者(inverted cripples):臓器を失ったからではなく、特定の臓器を過剰意識してしまったために障害が出てきた人の話や、常に教育そのものが特定の分野で秀でることと関連づけられ、バランスは無視されたためにいわゆる人類の知恵(wisdom)が喪失されているのでは、ということ、同様に卓越(excellence)が何の分野にせよ、ある特定のことに関しての能力の限界までの引き上げのことを意味したため、そのために失われることが無視されてきたことなどが語られています。

そして「ジェネラリストになろうと決断した際に」に続けて、
「家庭医はバランスと全体性を優先するためにある特定の分野だけを伸ばすということを棄権した」と書いています。家庭医はその決断をしたことによって、支払うべき犠牲はもちろんある。その存在そのものがバランスをなさない社会からの認識不足。全体の卓越のために特定の才能を犠牲にすること。
しかし、個人的な見返りは甚大である。

「only men who are themselves whole, can understand the needs and desires of other men.」(自分自身が全体である人間だけが、他の人間のニーズや欲求を理解することが出来る)

それ自身がすばらしい文章のためコメントは控えます。

2009/06/24

    Family Medicine Journal Volume 41 Issue 6 2009 June

久しぶりにjounal watch.表題の号から。(本来は毎月やりたい雑誌が3冊ぐらいあるのですが。。)
メインのリンクとタイトルだけ出してコメントをしておきます。著者や詳細は各自でどうぞ。

http://www.stfm.org/fmhub/toc.cfm?xmlFileName=fm2009/fammedvol41issue6.xml

Drug Promotion in a Family Medicine Training Center: 21 Years Later

21年間で製薬会社の名前の入ったペンやその他の販促グッズがどのぐらい減ったかの小さな報告。
これも取り組まなくてはいけません。


Advanced Procedural Training in Family Medicine: A Group Consensus Statement

昨日のエントリー参照

Family Medicine Residency Characteristics Associated With Practice in a Health Professions Shortage Area

Community Health Centerでトレーニングを受けたレジデントは研修修了後医師不足地域で仕事をする可能性が4倍ぐらいという話。こういう関連については多くの報告が。

Practice Management Residency Curricula: A Systematic Literature Review

診療所運営をどう教えるかについて、またその効果についての論文は33しかない。質や中身もバラバラ。論文のニッチのエリア。

Medical School Curricula: Do Curricular Approaches Affect Competence in Medicine?

医学部の話。臓器別カリキュラムか、分野別(生理、薬理など)カリキュラム、PBLかでUSMLEのスコアに差が出るか。という話。差はなし。

Factors Associated With a Physician's Recommendation for Colorectal Cancer Screening in a Diverse Population

大腸癌検診をやりましょうと進められるのはざくっと5-7割の患者。女性医師の方がより推奨する (56% vs67%)など。

Effects of Implementation of a Team Model on Physician and Staff Perceptions of a Clinic's Organizational and Learning Environments

チームで診療すると職場が良くなるという話。

Essays and Commentaries
Translation of Clinical Research Into Practice: Defining the Clinician Scientist

今以上に地域で診療する医師で研究をする人が必要、という話。

とにかくアイデアはそこら中に転がっているがimplementationからmeasurementそしてpublicationさらにdisseminationまで持って行くのは至難の業。

2009/06/18

    温故知新 Textbook of Family Medicine 第3版 by I. McWhinney & T. Freeman

教科書には2種類ある。その領域に必要な知識をカバーするためのもの、そして、その領域を定義して、概念化するためのもの。この本は後者に属する一冊である。臨床領域の教科書のほとんどは疾患を分類する伝統的な方法にあわせて書かれているが、家庭医療の教科書がそのような構造をとろうとすると2つの問題に直面する。家庭医は問題が分類されるよりも前に問題に遭遇する(診断がはっきりしない)。原則的に家庭医はあらゆる種類の問題に対処をする準備ができている(もちろん適切な紹介も含めて:岡田注)。つまりどれほどまれであっても、家庭医療の現場で出会う可能性のない疾患など存在しない。もし教科書がその領域にわたる全ての知識をカバーしようとすると、内科の教科書の焼き直しになってしまうリスクを抱える。さらに深刻なことに、時に家庭医療でも使用されることはあるが、基本的には、従来の構造(おそらくbiomedical model;岡田注)は我々の領域において非常に自然である有機的な思考体系(おそらくbiopsychosocial modelを代表とするシステム理論など:岡田注)とは矛盾しているという意味において、家庭医療はその他の分野から異なっているのだ。(翻訳岡田)



総論屋、理屈派、原理原則論重視人間の私としては、歴史をよく学んでそこから生かせることがないかいつも考えたり、Classic(古典)に立ち返ることを重視しています。(というか好きなだけなのですが)

香港でのWONCA に参加したことの収穫の一つにPatient-centered Medicine: Transforming the Clinical Method: Transforming the Clinical Method(下記:以下PCCM本)の著者であるMoira Stewartの講演を聴き、個人的にお話しできたことがあります。そのスクープは追ってお話しするとして、そこでPCCM本の第3版の話がでていること、また家庭医療の古典の一つであるマクウィニーの教科書が改訂になったばかり、という話を聞きました。

早速購入。昨日届きました。また私としては、最初にPreface(前書き)なぞを通読してしまうのです。(意味のない作業ではなく、特にそれまでの版を読んでいる場合、どこが改訂になったかをまず知る方が効率がよいからです。ガイドラインの改訂と同じです)

そのprefaceの最初の段落を最初に挙げましたが、(英語だとかなり格調高い文体なのですが...) 家庭医療の本質をよく表しています。

同様のラインでは廣岡 伸隆氏の投稿が参考になります。
廣岡 伸隆 Family Practice 概論 より良い理解のためのイントロダクション ―米国Family Practice Residency の経験から―
家庭医療11巻1号 2004 pp.66-71

つまり、家庭医療は医学、生理学、社会学、心理学などなどの多くの学問から得られた知見をもとにしてそれを適切な場面で適切に組み合わせて実践する2次学問であるということ。

その他の第3版の変更点としては初めてThomas Freeman氏を共著者にして、単著ではなくなったこと、McWhinney氏とFreeman氏が二人で第2版の抄読会を進める中で時代遅れになっている部分や改訂が必要な部分を変更したことなどが書かれています。

五つだけ臨床問題に関する章(咽頭痛、頭痛、疲労、糖尿病、高血圧)が用意されていますが、その意図については以下のように書かれています、

前述の通り、家庭医療という領域がカバーする全ての知識を網羅することはできないこと。疾患の分類にあわせて教科書を構成するという行為自体が、家庭医療のものの見方に相反するということなどから、あくまで、1−10章にかかれた家庭医療の基本的原理の実践例や実践方法を例示するためのものである。(岡田意訳)

一応具体的な治療方針などについては執筆時の最新のカナダのガイドラインなどにあわせていますが、時間とともにそれは古いものとなるため、その都度最新の情報を参考にする必要があること、特に薬物療法に関しては、今の時代、どの教科書でさえも、適切な情報源とは言えないため、特に理由がなければ具体的な投薬のレジメ(dosage)については意図的に言及しない、ことが書いてあります。

ではなぜあえて臨床のトピックを扱う章を用意するのか。
前述の「あくまで、1−10章にかかれた家庭医療の基本的原理の実践例や実践方法を例示するためのものである。」が全てを語っていますが、その5つについてはprefaceで症状3つと古典的な疾患概念である糖尿病、生理学的な多様性と危険因子についての高血圧という風に説明されていますが、具体的にそれらの章を眺めてみると

急性咽頭痛では、いわゆる検査前確率などの診断精度の問題、家族の影響、見逃してはならない診断(もちろん急性喉頭蓋炎)など診断の周辺と費用対効果に乗っ取ったマネジメント(全員治療vs検査で治療vs etc)
頭痛では鑑別診断、自然経過でなおることの多い疾患のマネジメント、見逃してはならない診断、急性期の治療、予防、慢性化した頭痛の治療)
疲労では心身相関や精神疾患の症状としての身体症状、鬱病、慢性疲労症候群
高血圧では、疫学、人種や年齢その他の危険因子毎の発生率の違い、診療所のシステムとして未診断の高血圧を見つけるシステムの構築、薬物治療へ踏み切るタイミングなど
糖尿病では一般的な慢性疾患の管理(合併症予防まで含めて)

と言った具合である。ただしそのbiomedicalなマネジメントの内容は場合によっては他の書籍の方が優れた内容を提供していると思われる場合も多く、prefaceにあるように、そのトピックの診断、治療について学ぶというよりは、その例を通じて、家庭医療の理念に基づいた疾患のスクリーニング、診断、治療、管理、家族との関わりなどの表現方法を学ぶことに徹する方がよいだろう。

Part 3は家庭医療の実践、ということで、往診、記録(電子カルテも含めて)、紹介、コメディカル、地域資源の利用、代替相補医療(CAM)、診療所運営の章立てで、この部分が特に最近の進歩にあわせて大幅の改訂がなされたようである。

Part 4は生涯学習とリサーチ。

まとめるとやはりprefaceの第1文にあるようにこの教科書は家庭医療を定義して、概念化するための教科書であり、その理論的基盤はやはり現代でも通用するclassic(古典)としてその位置は揺るがない。最も価値のあるのはPart I(基本原理)の1−10章。ただ残りのpart2~4は一部参考になる部分があるものの、よりよい内容を得られる類書も多く、個人的にはむしろない方がこの教科書の価値を高めるのではないかとまで感じられる。

家庭医療の教科書をひもとく楽しみはその「総論」「基本的理念」にある。それぞれの著者がそれぞれの「家庭医療観」に基づいて章立てと構成、理論展開を行うため、その著者の「家庭医療観」がよくわかるからであり、それはさらにいくつかの教科書を比較することでよくわかる。

米国のSaultzやSouth-Paulのものと比較すると、米国のそれは非常にダイナミックであり、いわゆるcutting-edge(変化しつつある最先端)を明確に意識し、できる限り適応しようとする意図が見える一方で、McWhinnyのそれは、英国圏の影響であろうか、徹底的に基本的原理を守ることが重要であり、時代の変化に対しては必要だから対応する、というような半ば受け身の雰囲気も感じられる。

私自身はどちらの肩を持つでもなく、その差異そのものの存在を喜びたいと思う。McWhinnyの弁護をしておくと、その第1章のごく早い段階(p6)において、医学の高度専門分化の歴史を語った後に、考えなければならない2つの教訓として

1. もし専門家(profession)がパブリックのニードを満たすことができなければ社会は自らのニードを満たすために何らかの方法を見つけ出す、場合によってはその専門家集団の外にいる人たちに解決を求めて。(例えば代替相補医療もその一例かもしれない)。
2. professionは時には、社会からの圧力に対応する形でそのメンバーの主張する方針や意図に反する方向で進化することがある。


を挙げていることを指摘しておきたい。

なんだかんだといいながら書評を書いてしまいました。
これから少しずつ熟読を進めていきます。

Textbook of Family Medicine
Ian R. McWhinney, Thomas Freeman
Oxford University Press, USA ( 2009-04-08 )
ISBN: 9780195369854
おすすめ度:アマゾンおすすめ度



Moira Stewart, Judith Belle Brown, W. Wayne Weston, Mcwhinney, McWilliam
Radcliffe Medical Press ( 2003-07 )
ISBN: 9781857759815






CURRENT Diagnosis & Treatment in Family Medicine Second Edition (LANGE CURRENT Series)
Jeannette South-Paul, Samuel Matheny, Evelyn Lewis
McGraw-Hill Medical ( 2007-09-04 )
ISBN: 9780071461535

2009/01/25

    初期研修医のexit interview

私たちのクリニックには,K総合病院の初期研修医が必修の地域医療枠として全員が,2週間研修に来ます.私たちの広い診療領域という特性を利用して,それぞれが,その将来像に合わせて,学習課題を見つけることが出来,こちらも驚くほどの発見や学びをして帰られます.

いつも2週間の最終日に学んだことを発表をしていただき,それと別に簡単な面談を私と持ちます.(exit interviewと呼びます)

年末年始,という不規則な時期のためあいにく4日間という変則的スケジュールでしたが,来てくださったT医師と年の瀬に,exit interviewを行いました.

そこで出た発言,

当院に来る前の12月の3週間はUC Davis (カリフォルニア大学Davis校)にリウマチ科を中心に見学に行っていたが,2-3日家庭医の外来をみせてもらった,その時にあまりに日本の自分がみた外来と違うことに驚いて,帰国後家庭医療を売りにして頑張っているクリニックではアメリカの家庭医療に対してどのぐらい遅れているか差があるか,比べてやろうと思っていた.

しかし,ここで行われている医療をみてみたら,全く同じ事が行われていた!!まったく遜色ないです.すごいです!


とのことでした.まあ多少ヨイショもあるのでしょうが.米国の家庭医療とここの診療をみて同じようなコメントをされる人はこのT先生が初めてではありません.

お昼の発表では言わなかったそうなので,「それをみんなの前で言ってあげて欲しいのに!」と言ってしまいましたが,嬉しい限りです.



にも書きましたが,

家庭医となるための研修において,施設を注意深く選ぶ必要はあるが,もはや優劣ではなく,特徴の差異のみである.


という状況でしょう.勿論改善すべき点はまだまだありますので,引き続き頑張っていきます.

2008/10/27

    医療経営最新ニュース

東日本税理士法人の公認会計士,長 英一郎氏のブログ,「医療経営最新ニュース」で,最近の執筆(「病院」誌 Integrated Healthcare Networkにおける家庭医療クリニックの貢献とこれからの課題)についての感想を頂きました.

2008年10月24日 病院と家庭医療

別に長氏にお願いしたわけでも,執筆を紹介したわけでもないのでやらせではありません.
紙面で私が伝えたかったことのエッセンスを抜粋して引用の上、的確なコメントを頂きました.

長様大変有り難うございました.





 

2008/10/22

    日本家庭医療学会認定 家庭医療専門医試験について

本日付の学会のHP公表より

日本家庭医療学会認定 家庭医療専門医試験について
学会認定後期研修プログラムのプログラム責任者および第1期研修医の皆様へ


一部抜粋

試験の日時は、平成21年7月19日・20日(予定)、場所は東京の慈恵会医科大学の予定です。評価の方法は、今後3学会にて企画されますが、現段階では、現在、日本プライマリ・ケア学会が行っているModified Essay Questionによるペーパー試験とObjective Structured Clinical Examination(OSCE)による実技試験の2つによって行われる予定です。さらに、日本家庭医療学会では、事前に家庭医療に関する数件のポートフォリオを提出していただき、これによっても評価をする予定です。ポートフォリオの書式などは、理事会にて合意が得られ次第、ホームページからダウンロードできるようにする予定です。これらの評価にて、基準以上の成績を収められた研修医には、日本家庭医療学会認定・家庭医療専門医の認定をさせていただきます


なお、再来年の関連3学会の合併によって内容に多少の変更がある可能性がありますが、その認定は3学会の合併後も認められる予定です。



皆様準備の期間は十分あります.

2008/10/21

    水痘の子が来て妊婦検診

風が吹けば桶屋が儲かる的かもしれない.

先日,普段は慢性疾患で通院中の7才の子が予約外で来院.予診票に「発疹」と.予診にいったスタッフが「水痘です」と.piece of cake.

診察しても,まったくその通り.

治療方針,予後の展望,登校基準などお話しして,一般の小児を診る医師はここで恐らく終わり.

第1段階(comprehensive care/immunization)

予防接種の記録を確認.ムンプスまだでしたね.ムンプスは案内が来ないけど是非うっといてくださいね.

第2段階(postexposure prophylaxis)

家族に兄弟,小さなお子さん,水痘まだの可能性の人はいませんか?

なぜこの質問をするか・postexposure prophylaxisがある程度有効だからだ.自費だけど.

するとつれてきたお母さん(38才)が
「私多分まだかもしれません」

緊急予防接種のお話し.100%予防するわけではないので,費用と天秤にかけて.2週間(潜伏期)のあと発疹が出てきたらすぐ来て,治療する方法もあります(成人は重症化するので).でも女性なので跡が残るかも.今日打たない場合は,2週間しても発疹が出なければそこで予防接種を.

でも妊娠の可能性は大丈夫?

「そろそろ2人目をと思っているので.なかなかできないんですけど」

第3段階(妊娠のアドバイス)
妊娠するタイミングは知っていますか?

「xx日周期で...」
最近手に入れたiPod Touch(第2世代)に入れてある,Menstrual Calendar
を取り出して,最終月経を聞いて,
今月はxxにちからxx日まで.来月は...と説明.その期間は1日おきにトライを.

第4段階(preconceptional care)
ところで「葉酸」って聞いたことありますか?

妊娠を考えているなら,と一通りの説明.後でパンフレット持ってこさせます.

第5段階(full basket of service)
よろしければうちでも妊婦検診やってますので,妊娠したらうちで診させてください.

-------------------
結局緊急予防接種をやることになり,妊娠は少し先延ばしにして頂くことになったが,恐らく,感染症診療に精通した医師で第2段階まで,女性の診療に精通した医師で(勿論子どもも診る医師で)第3と第4段階まで,自分自身で妊婦検診を実施している医師で第5段階まで行けるのだろう.

主訴だけに対応するreactiveな医療ではなく,proactiveな医療を.というのはもうずいぶん言われているが,本当に幅広い視点と知識がないと(あとは時間も必要),水痘の子どもが来て妊婦検診を勧めるという事にはならないと思う.


case gradually unfolds....(よく使われる表現)


表面的な主訴と違うところに沢山の介入の余地があったり,本当の受診理由,患者さんの深い悩みがあったり,最初にこうだろう,と考えたことと,終わりの形が違う.この不確実性が魅力とやりがい.

これだから家庭医の仕事は辞められない.

2008/10/06

    Integrated Healthcare Networkにおける家庭医療クリニックの貢献とこれからの課題

以前予告したとおり,表題のタイトルで執筆した原稿が発表になりました.

Integrated Healthcare Networkにおける家庭医療クリニックの貢献とこれからの課題
【家庭医療クリニックと病院の連携例:亀田ファミリークリニック館山】
病院 特集「病院と家庭医療」 Vol. 67 No.10 2008 October pp.897-901


まだ日本ではそれほど知られていませんが IHN(Integrated Healthcare Network),という概念があります.

そもそも徹底的に縦割りにされた(Fragemented care)米国の医療システムでそれをなくすための仕組みとして出てきたものですから,割とシームレスに医療が提供されている日本では敢えて取り立てて生江をつける概念ではないかも知れません.が日本でも縦割りの診療,医療,福祉などの連携がまずいばかりに肝心な患者さんが迷惑を被っている例も多々ありますから,日本でもIHN,ということを意図した医療の仕組みづくりしてもよいかなと思います.

そのためにプライマリケア部門は抜きにして語れない.高度専門医療を目指す,それをウリにしたい医療機関ほど,プライマリケア部門の充実が必要なことは,逆説的ではありますが,generalistとspecialistとの協働について理解のある人であるほど,自明なことだと思います.

上記雑誌の巻頭言より.

 勤務医は疲弊している.そして,勤務医のほとんどが専門医である.複数の症状を持つ1人の患者は,複数の専門科を受診する.この時から病院を来院した1人の患者は,のべ数人の患者になるのである.そして,各専門医は多くののべ患者の診察で疲弊するのである.


この視点は非常に大事である.複数の問題を抱える患者であっても1人は1人として診療する.家庭医は1回の診療で平均3-4個の問題を扱う.だから病院の中にgeneralistがいるだけでも,延べ外来患者数は3-4分の1になる可能性を秘めている.その分病院の収入が減ってしまうところが大きな問題.米国はそのvisitのcomplexity(複雑度)によって,初診料も再診料も数段階に分けられている.

2008/06/16

    研修を終え現場に出るレジデント達への十戒

古典(Classic)を読むことは非常に大切である.

日本では余り知られていないが,1982にまとめられたG.Gayle Stephensの1965年から1980年までの23編の著作集”The Intellectual Basis of Family Practice”は米国の初期家庭医療を形作る基盤となった思考である.
先日このオリジナルを手に入れる機会に恵まれ,少しずつ目を通している.
その巻末に,"A Decalogue For Family Practice Residents Entering Practice(研修を終え現場に出るレジデント達への十戒)"と題された付録A .1979年 サウスキャロライナ大学の家庭医療講座での講演の一部ということでたった1ページなのだが,ここに挙げておきたい.(日本語訳と訳者注は私)

A Decalogue For Family Practice Residents Entering Practice
研修を終え現場に出るレジデント達への十戒

*Don't give up the reform ethos. Keep on the side of responsible change in education , practice, and social justice.
改革の気風をあきらめるな.教育,臨床,そして社会正義に置いて責任を持った変化の一端を担い続けよ.

*Don't lose faith in the power of relationship and the therapeutic use of self.(Or, don't hire anybody to save you from spending time with patients.)
医師患者関係の力と,治療としての医師自身への信念を捨てる事なかれ.(つまり,患者さんと過ごす時間を節約するために誰かを雇うようなことはするな)

*Don't turn your practice into a mere business. It may not be less, and it should be a great deal more.
診療を単なるビジネスにしてしまうな.それ以下では当然ダメだが,それよりもずっとずっと崇高なものでなければならない.

*Learn to distinguish between uncertainty and ignorance; only the latter is remediable and potentially culpable.
不確実なものと無知(無視)の区別がつけられるようになりなさい.後者だけが修正可能で,場合によっては有罪となる.(無知や無視のせいではない本当に不確実なものはどうしようもないが.勉強不足によるものは許されない)

*Find some way to practice charity; i.e., willingly give a part of your services consistently to those who cannot pay.
慈善を実践する何らかの方法を見つけよ.あなたの能力を継続的に,弱き者に喜んで提供しなさい.

*Try to see that the groups in which you hold membership are at least as moral as you are.
あなたが所属する集団のメンバーは少なくともあなたと同じぐらい倫理的であると常に考えるようにせよ.

*Humanize and personalize the microsystems in which you work.
あなたが働くマイクロシステム(通常は診療所や診療環境のこと)を出来る限り人間的で,個人的なものにせよ.(無機質で殺風景なものでなく)

*Act at all times as if the patient is fully autonomous; the weaker the patient is , the more vulnerable you are to violating his/her personhood.
患者は常に自己決定権を持つものとして振る舞え.患者が弱ければ弱いほど,あなたはその人の人間の尊厳を簡単に破壊しやすい状況になる.

*Reflect on your professional experiences. Within the bounds of protecting patients' privacy, think, talk, and write about your clinical stories.
自分のプロとしての経験を振り返りなさい.患者のプライバシーを尊重した上で,臨床の様々な物語について,よく考え,よく話し,書きなさい.

*Worry less about patients becoming overly dependent on you than about your becoming undependable.
患者があなたに必要以上に依存することを心配するよりは,あなたが頼りがいが無くなる・あなたに頼れなくなることを心配しなさい.


---------------------------
ほぼ30年前の言葉だが現在の北米家庭医療がその流れをくんでいること,今改めて重要と考えられていることがそのときに既に重要視されていることなど驚く.
振り返りreflectionの重要性は言うまでもない.FFM(future of family medicine)Projectでは家庭の才能の一つとして"humanizing medical experience"というのがあるが,ここに源流を発するのではないか.
耳の痛い話も多い.

Gayle Stephensは米国家庭医療の基礎を作った重要な一人とされている.Keystone conferenceについては知る人もいると思うが,そのI, IIについての発起人.IIIでは発起人4人"the quartet"の一人.
Keystoneについては次を.

KEYSTONE III アメリカ家庭医療学の自己再発見への旅

以前から自分のteachingの中で,”歴史家としての家庭医”ということを時々話してきたが,出展については不明だった."The Intellectual Basis of Family Practice"の第14章が"The Clinician as Historian"と題されている.彼が言い出しっぺだった.

この本をざっと眺めてみると,今我々generalistが大切にしていることが殆ど書かれている.
医学が進化していないのか.generalismが進化していないのか,それとも,あまりに本質的なので,30年の時代を超えて変わらないのか.

The Intellectual Basis of Family Practice
  • 発売元: Society of Teachers of Family
  • 発売日: 1982/06

2008/01/18

    Baumol's disease -- Health care in general may suffer from an incurable disease. (Are you surprised?)

1/12のentry知的挑戦,反省的実践家と学府,たった1回の経験に対してのresponse.

表題のBaumol's disease を知っている人はどのぐらいいるでしょうか?

内科学のHarrison, 外科のSabiston,小児科のNelson,循環器のブラウンワルト,泌尿器のCampbell,神経内科のAdams,家庭医療のTaylorやSaultz,産科のWilliamsなどの医学書には載っていないと思います.安心しましたか?

定期的に目を通す医学雑誌で自分も初めて知ったので,ほぼ翻訳というか受け売り.それでも日本語にする意義はあると思うので.

出典
opinion Baumol's Disease Bobby J. Newbell, Family Practice Management(FPM). November/December 2007 Vol. 14, No. 10

正確にはBaumol's cost disease (also known as the Baumol Effect)

以下の説明は上記2つから.

FPMでの説明もほぼwikipediaから.
日本語では技術的不均斉成長モデル(pdf)という説明もされるようです.


元々は私の興味分野であるperforming artの世界の観察から.
wiipediaでは

It involves a rise of salaries in jobs that have experienced no increase of labor productivity in response to rising salaries in other jobs which did experience such labor productivity growth. This goes against the theory in classical economics that wages are always closely tied to labor productivity changes.

通常古典経済学的には賃金というのは生産性とリンクしているのだが,その原理に反して,生産性が上昇していないにもかかわらず,その他の業種の生産性が向上したことによる賃金上昇に反応して,その分野では生産性が向上していないにもかかわらず,賃金が上がっていく現象

とあります.

具体例を挙げると,

自動車の生産効率(単位時間当たり一人当たり)は1995年から2005年の10年で66%増えたとのことです.(約1.7倍)
極度に単純化して考えると,仮に1995年と2005年で同じ車の値段が同じ金額だとすると,一人の工員が一定時間に作り出す自動車の台数が1.7倍になったということですから,単純に売り上げも1.7倍,従って賃金(取り分)も1.7倍となるはずです.(実際は製造効率が上がるために,工場の機械を良い物にする設備投資とか,様々な要素があり,このように単純ではないはずですが)
これは主としてテクノロジー(IT,ロボット,その他産業)の進歩による生産性の向上,または大量生産による部品コストのコモディティ化による価格低下などの恩恵であり,人類が肉体を動かす身体能力が1.7倍になった為による生産性の向上ではありません.

しかしながら,250年近く前に作曲されたモーツアルトの弦楽四重奏は現代においても,その演奏に,当時と全く同じ4名の弦楽器奏者と同じだけの演奏時間が必要であり,そこに,生産性の向上は一切ありません.音楽や演劇,バレエ,ダンスなどの「演じる」ということを主とするperforming artsのほとんどについてこのことが当てはまります.

理論上,同じ効率でしか作品(商品)を生産できない以上,音楽家(演奏家)の賃金は250年前と同じでよいはずです.ところが,その他の特にテクノロジーの進歩の恩恵を受ける産業での賃金がその生産性向上に伴って高くなり,そうでない業界との賃金の差が大きくなると,その業界の仕事をしようという人がいなくなってしまいます.要するに音楽家やっているより自動車工場の工員になったほうが,何倍も効率が良い,ということです.

そうやって,テクノロジーの恩恵をあまり受けない業界は,労働力の流出を避けるために,そういった業界の賃金にそれなりに見合うように,賃金を上げなければなりません.

その現象を.

通常古典経済学的には賃金というのは生産性とリンクしているのだが,その原理に反して,生産性が上昇していないにもかかわらず,その他の業種の生産性が向上したことによる賃金上昇に反応して,その分野では生産性が向上していないにもかかわらず,賃金が上がっていく現象

Baumol's cost diseaseというのです.

さて本題.
これと医療と何の関係があるのか.

1950年代,米国のGeneral Practitionerが一日に診療した患者の数は25人程度.そして米国ではその数は50年後の今も変わりません.
考えてみて下さい.テクノロジーの進歩の恩恵を医療は受けてきたでしょうか(生産性に関して).電子カルテで,処方ミス回避や情報共有などの効率化ができ,医療の安全性の向上,質の向上は起きていますが,むしろ様々な制約により単位時間に対応できる患者の数はそれほど増えていないか,少し減っているのではないでしょうか.

単位時間当たりに診療できる患者の数が50年前から変わらないから,医療従事者の賃金が50年前と同じでよいか,というとそういうわけにはいきません.製造業,生産業の生産効率の上昇と共に彼らの賃金が上がり購買力が上がるために,物の値段が上がります.そうなると「医者なんかやってられない」ということで,もしかしたら一時期いわれたイタリアのように医学部を出てタクシーの運転手という状況になる可能性があるのです(このことが事実かも,なぜそうなのかも知りませんが)

FPMには,

The underlying factors of "production," namely, taking a history and performing a physical examination, have not been affected by technical progress. Likewise, a half-century of tremendous advances in the science and technology of medicine has done essentially nothing to increase the speed with which a nurse can change a bandage.

科学とテクノロジーの発展は医師が問診をし,身体診察をする,看護師が包帯を交換すると言ったことの作業効率にほとんど貢献していない.とあり,そのあと,なぜなら,医療は「その作業そのものが商品であるから」とあります.

生産業などは作業の結果何らかの商品が発生します.そうではなくいわゆるサービス業(飲食も含め)は人間の労働そのものが商品であるということで,この現象が見いだされたperforming artsと共通しています.


更に,医師Jay Jacksonの言葉を引用して,

"The distressing trend about medicine today is that cognitive skills learned over many years, with rapid pattern recognition and astute clinical decision making, are disproportionately underproductive by comparison to the rest of the economy. ... Medicine, for all the discussion about innovation and redesign, still remains a profession - one patient, one pair of hands, and one pair of eyes at a time."

何年もかけて身につける診療能力(瞬間のパターン認識と,抜け目のない臨床決断など)は医療以外の世の中の経済活動に比べると絶望的なほど「非生産的」であり,それは,どれほどinnovationやredesignを語っても,医療は最終的には一人の患者に,両手と両目を使って一人ずつ対応する職業であるからだ

医療の中でも多少の違いはあるでしょう.放射線科などは,画像をネットで送れることや電子データの処理能力向上などで,生産性が比較的向上しますが,家庭医は電子的に音を拡大する聴診器や,電子カルテを用いても診療のスピードがそれほど上がるわけではないのです.

同様に大学教授が1時間の講義で伝えられる情報量もpowerpointの恩恵があっても50年前とはそれほど変わらないはずです(受け手の処理能力が上がっているわけではないので)

話を戻すと,人間と人間のやりとりに大きな意義,価値を置く仕事であるほど,この疾患Baumol's diseaseの餌食となるリスクが大きいと言えるのではないでしょうか.

wikipediaには
他業種の賃金価格上昇に対してperforming artsのプロデューサー(興行主)は収益を増やし,artistの賃金を上げるために以下のような方法で対応できるとあります.

Decrease quantity/supply (労働者(performer)の数や,舞台にかかる費用を下げる)
Decrease quality    (performerのランクを下げる.)
Increase price     (興業の値段を上げる)
Increase non-monetary compensation / employ volunteers (賃金を上げる変わりにその他のbenefit(福利厚生など)を増やす,ボランティアを雇う)
Increase total factor productivity (翻訳不可能,performing artsでは実施不可能とあります)

例としては医療では,データ入力や簿記などを海外の安い労働力にアウトソーシングする,教育の世界では,手書きのエッセイを採点する代わりに,コンピュータで採点可能なマークシートにするなどがあげられています.

さてビジネスはどこまでいっても

収益=単価x数ー費用

です.(原則としては包括払いでも同じ)
そして前提として単位時間当たりの処理能力の向上はあまり見込むことのできない医療の世界で,しかも国によって単価が決められており,自由に設定できない中(注1),生き残っていくためには(つまりずっと長い間,地域によい医療を提供し続けるためにはある程度の利益が出なければ「人のケア」最終的な商品である医療で「人」が雇えなくなる (注2))我々がコントロールできる変数は費用しかない,つまりコストを減らす,ということになるのですが,検査器械のお金をけちっている医療機関,電子カルテをけちったために手書きの文字で読み間違いが起こる医療機関,人を減らして,受付が常に電話対応に取られている医療機関なんかにかかりたいと思うでしょうか.

話を戻すと,
医療特に問診と診察を重視する,話しを聴くこと,説明すること等の人ー人のやりとりにその価値が存在するプライマリケア,家庭医療が最もテクノロジーの恩恵を受けにくい,そして世界中の様々な診療報酬体系もなかなかこの難治性の病気を治せないでいる.FPMの文章を借りると、Baumol自身がいうように,これは,先進国経済における,避けることのできない,取り除くことのできない、経済が発展していることそのものの証明なのではないか.

performing artsの世界では(特にpops市場)、うまくテクノロジーを取り入れている。1回のコンサートで出来るだけ多くの人が楽しめるように大画面を用意して、武道館のような広さでもartistの顔が見える工夫。また、そのときの様子をDVDとして販売、novelty goods(ステッカーやTシャツなど)の販売などもそうであろう。

しかしそれでも,「人ー人」のやりとりを最大限にするためにこそテクノロジーはあるのではないか。黙っていてはテクノロジーの恩恵を受けられる領域ではないからこそ、今までのやり方とは全くちがう医療提供の枠組みによって、innovationを起こすことが必要なのではないか。キーワードとしてはChronic Care Model, group visit, virtual visitというあたりだろうか。

今後少しずつ言及。

注1 先日銀行の人に「我々は価格を決められないからつらいです」という話をしたら,「国が価格を保証してくれているほど恵まれていることはない」と言われた.確かに,それも一理ある.一般の商売は売れなければ価格を下げてたたき売る覚悟もいるのだから.
注2 一般病院(民間)の医業利益率は1%に満たない。大ざっぱにいって、外来患者さん200人診療すると100万円入ってくるが、諸費用を支払うと手元に残るのは1万円に届かないということ。以下参考

参考 M3サイト(ログイン必要)
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06年度WAM調査 一般病院の利益率、過去最悪を更新 医療経済実態調査を裏付け

記事:Japan Medicine
提供:じほう

【2008年1月16日】

 福祉医療機構(WAM)がまとめた2006年度医療機関の「経営分析参考指標」によると、一般病院(民間)の医業利益率は初めて1%を割るなど過去最悪を更新した。7%前後で安定していた療養型病院の医業利益率も2ポイント以上落ち込んだ。看護職員らの増員によって人件費が膨らみ、収支を圧迫した。中医協の医療経済実態調査で明らかになった病院経営の厳しさがあらためて裏付けられた。

 06年度の一般病院(全病床に占める一般病床の割合が50%超)の医業利益率は0.8%で、前年度に比べて0.4ポイント落ち込んだ。診療報酬のマイナス3.16(本体1.36)%改定のあおりや、平均在院日数が短縮する一方で病床利用率が低下したことなどを受け、1床当たりの医業収入は前年より約50万円の減額となった。
  これに加え、7対1入院基本料の導入などの影響で看護師増員を迫られ、患者100人当たりの職員は2.7人増加。支出の人件費割合が50%を超え、経営を悪化させた。
  療養型病院(全病床に占める療養病床の割合が50%超)の医業利益率は、診療報酬本体が初めて引き下げられた02年度以降も7%前後で推移していたが、06年度は5.0%に悪化した。1病床当たりの医業収入が約30万円減となったほか、支出面では患者100人当たりの職員が0.8人増えた。さらに、職員1人当たりの給与が8万1000円増え、支出増の要因が重なった。
  本体0.38%増が決まった08年度診療報酬改定率の判断材料となった中医協の実調(昨年6月時点)では、国公立を除く一般病院(介護保険収入のある医療機関含む)の医業利益率は0.4%。療養病床60%以上で国公立を除く一般病院(同)の医業利益率は4.7%で、医業収入の中に介護保険収入も含めているWAMの一般病院、療養型病院の経営分析の傾向とほぼ重なる。

精神は実調とやや開き

 一方、精神科病院の医業利益率については、WAMの経営分析は4.1%であるのに対し、実調では1.8%(国公立除く、介護保険収入のある医療機関含む)とやや開きがある。1床当たりの医業収益はいずれも微増傾向にあるが、人件費割合はWAMが59.2%であるのに対し、実調は64.1%であるなど、支出面の傾向が異なる。
  WAMによると、06年度の赤字病院の割合は、一般病院が41.1%、療養型病院が25.8%、精神科病院が21.4%で、精神科を除き過去最悪となった。

Copyright (C) 2008 株式会社じほう
---------(引用ここまで)-----------------

2008/01/14

    透析患者のケア

今日は祝日であるが透析当番。透析の患者さんに休みも正月もお盆もない。
自分の復習として、ガイドラインを読み直す、折角だからまとめる。いかが、とりあえずの作品
docsには番号や箇条書きが入って、見やすいのだが、c/pにて消失。
現在透析導入の原因疾患の一位が糖尿病であること。聞き耳であるが様々の理由により日本全体の血液透析の患者数はEUのそれと同じであること、やっぱりmultimorbidityの患者さんが多いし、週2,3回通う以上、近くである必要があるし、透析日はなかなか他院を受診する余裕も時間もないので、「ここでは腎臓しか見ません」という施設より、何でも見てくれる方がよいはず。というわけでgeneralistが透析患者のケアをするのは全身の血管を痛める糖尿病を代表とする生活習慣病の管理と基本的理念において変わらない視点で透析導入前からずっと継続して診る(勿論透析に特異的な管理指標はあるが)という意味で、非常におもしろい領域ではないかと思う。(すっかり洗脳されてしまった)
まあ、generalistとしてのケアできる範囲が拡がるにこしたことはない。

現況
透析患者 25万人
人口100万人あたり2017人 (1000人あたり2人という事で、white/greenの論文と比べると、大病院に入院する患者の頻度と同じかその倍)
1500のカルテを持つ標準的な日本の開業医では約6000人の地域をカバーしている計算なので、透析患者さんは12人の計算
導入後1年生存率88.4%
5年 63.1%
10年 40.7%
15年 28.9%
20年 23.2%

個人的に興味深いのは、透析の患者さんはフォローがとぎれることがないので、(自分の施設でなくても必ずどこかで透析を受ける)、血液データなども含め、長期的に詳細な疫学データが得られることである。結果

図説 我が国の慢性透析療法の現況(2006)

に示されるように詳細な、データ(特に生命予後に影響を与える因子)が日本人のものとして得られており、そのため、エキスパートオピニオンではなく(それも重要だが)、data-basedで日本独自の管理目標値が設定されている。Hgbの管理目標やintactPHTのそれは欧米よりも低く設定されており、その根拠も明確に示されている。

日本の透析患者さんの死亡リスクはDOPPSによると欧州の1/3、米国の1/5。

使用は各個人の責任で。
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透析回診用メモ


ルーチンで診るもの


1.透析効率
透析直後はBUNリバウンドを考慮しない為過大評価となるが、ガイドラインはこれを用いているKt/Vspと表現
日本の平均は1.34
Kt/V 1/0-1.2を標準とした場合 1.6までは死亡リスクの減少 RR0.65程度、1.0未満はリスク増大1.3程度
透析時間は4.5時間までは長い方が予後がよい Kt/V透析時間は独立した予後規定因子(DOPPS)
2.体液
血圧、尿量、体重
3.貧血 「慢性血液透析患者における腎性貧血治療のガイドライン」JSDT, 2004
目標 週初め(中2日)の透析前の採血でHgb 10-11,(Hct30-33)
皮下注により静注の30-38%減できる
1回あたり静注1500-3000単位 週3回 週あたりHgb0.3-0.4g・dL(Hct1%)の上昇速度を超えない
4週後Hgb上昇度1g/dL未満(Hct3%)の場合、静注1回3000単位週3回を継続
4週で上記の上昇度を得られない場合はrHuEPO抵抗性として原因検索を(ガイドライン)
若年者は高めの目標
rHuEPOの副作用としては高血圧、血栓塞栓症、赤芽球癆などがあるこれらの出現には注意すべきで
ある
鉄欠乏の診断基準 TSAT<=20%, ferritin<=100,
投与 透析終了時に透析回路よりゆっくり静注(コンドロイチン硫酸鉄鉄コロイド40mg など)、毎透析ごとに計13回、もしくは週1回3ヶ月、投与終了2週後に採血で再評価
TSAT:トランスフェリン飽和度
TSAT(%)=〔血清鉄(μg/dL)×/総鉄結合能(TIBC)(μg/dL)〕×100
4.Ca,P 透析患者における二次性副甲状腺機能亢進症治療ガイドライン
アウトカムを生命予後とした場合血清P 血清Ca 血清PTH の順で寄与度が高い
低アルブミン(Alb)血症(4g/dL 未満)のある場合は必ず補正値を用いる
Payneの式:補正Ca(mg/dL)=実測Ca+(4-Alb)
P,Caの濃度をすべてに優先 P 3.5-6.0mg/dL, Ca 8.4-10.0mg/dL
高Ca血症では活性型ビタミンD と炭酸カルシウム減量中止高P 血症ではP 吸着薬の増量と活性型ビタミンD 減量中止を図る ガイドラインの図がわかりやすい
これが達成されている場合のみintactPTHを60-180pg/mLに(下限はオピニオン) 第3世代測定系換算で(35-106)低値に対しての介入はあまり書かれていない
治療抵抗性は早めにインターベンションに(PEITなど)
付記
K/DOQIとの目標は若干違う CaP<55はJSDTでは何も言われていない 日本ではPTHをより低めに(K/DOQIでは150-300)
CKD-MBD 検査値の異常、骨の異常、軟部組織の石灰化の3つ
骨代謝マーカーとしてはALP
トータルのカルシウム負荷(炭酸カルシウム)は1日3gまで
リンの食事指導は1位日700mg以下


定期診察で診るもの(上記に加えて)

サマリーシートへの指導医の書き込み
CTR
Kt/V 透析直後はBUNリバウンドを考慮しない為過大評価となるが、ガイドラインはこれを用いているKt/Vspと表現
DW
処方
オーダー (XP, EKG)
採血入力
定期心エコー、腹部エコー
プロブレムリストのupdate (health maintenanceも忘れずに)
サマリーページの印刷 回診用カルテに


アイデア

QIとしては Hgb Ca, P, PTH

3522例では 35.5% Ca,P共に管理目標 



付記、メモ

K/DOQI

KDIGO Kidney Disease Improving Global Outcomes 2003設立 2008年にガイドラインが出る予定

CKD-MBD Chronic Kidney Disease-Mineral and Bone Disorder



DOPPSによると日本の透析患者の死亡リスクは欧州の1/3、米国の1/5



日本の文献で年齢、性別、原疾患、Kt/V尿素、体重減少率で補正しても Hct30-33が最も5年生存率が低値 (27-30は有意差なし)それ以外はRRが高くなる

NKF-KQDIの推奨はHbg>=11 (かつては33-36% 坐位採血)

透析患者は年間2gの鉄を喪失する(採血、回路内残血など)



1) HD 患者に対するrHuEPO療法の目標Hb値(Ht 値)は週初め(前透析2日後)のHD 前の臥位採血に
よる値でHb値10~11g/dL(Ht 値30~33%)を推奨する
2) rHuEPOの投与開始基準は腎性貧血と診断され複数回の検査でHb値10g/dL(Ht 値30%)未満となっ
た時点とする
3) 但し活動性の高い比較的若年者では維持Hb値11~12g/dL(Ht 値33~36%)を推奨するまたrHuEPO
投与開始基準として複数回の検査でHb値11g/dL(Ht 値33%)未満となった時点とする



現実に遭遇するEPO抵抗性の多くは鉄欠乏による鉄欠乏がない場合はその他の抵抗性の原因を検索す
べきであるなかでも抗EPO抗体の出現による赤芽球癆は最も深刻な合併症である
鉄以外の造血に対する必須成分が欠乏することでもEPOの効果が減弱する場合が知られている



P >7で1年予後、>5で3年予後の高い死亡リスク

Ca>10.0で1年予後、3年予後共に高い死亡リスク 低い方は死亡リスクとは関係ない

日本透析医学会
統計調査委員会において日本人のデータベースを新たに解析した結果によればintact PTH 値が180
pg/mL 未満であった患者群は180pg/mL<intact PTH<360pg/mL に設定した標準群よりも1年死
亡率が統計学的に有意に低いことが判明した3年死亡率で比較すると標準群よりも統計学的に有意に
低かったのは30pg/mL<intact PTH<120pg/mL の患者群であった同様な検討を補正因子を変え
たりintact PTH 値の区切りを変えたりして繰り返してみるとそれぞれの死亡率が60pg/mL<
intact PTH<120pg/mL を最小とする緩やかなJ 型曲線を描くことが再現性をもって確認された本
ガイドラインではこの事実を踏まえた上従来の管理目標からの移行の容易さ適応の容易さなどを
考慮して60pg/mL<intact PTH<180pg/mL を末期腎不全患者におけるPTH の目標範囲に設定し
たただし統計学的に有意ではあっても死亡率のハザード比は標準群に対して最小でも0.83であり
その差が決定的に大きいとはいえなかった

透析療法ネクスト VI
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関連リンクはここ

    あなたの幸せは、私の幸せでもあるのです。 (blog紹介)

本名を公開してのブログ 八藤 英典氏。

私自身が本名を公開してblogをすることに踏み切った理由は下記の梅田望夫氏『フューチャリスト宣言 (ちくま新書 656)』にある。はっきりした文言は忘れたが茂木健一郎氏との対談のなかで、本名を出してのblogが「究極の他流試合」であり、たとえ本名を出すとしてもmixiなどの閉ざされたSNSでは甘い、という表現をしていた事による。

八藤 氏がいつ誰に影響されたのかはわからないが本名で全世界(日本語なので少なくとも日本中)を相手に自分(少なくとも自分の一部)を暴露する決断をし、それを続けていることは大変な勇気のいることである。そのvolunteerismは同志として敬意を表したい。

彼との交流はかれこれ、6年前ぐらいになる。フェロー最終学年の時に、藤沼康樹氏に北部東京家庭医療学センター招いて頂いたときに、学生として研修に来ていた。なぜかそのときの出会いはよく覚えている。同じ時期にそこに研修に来ていた某氏は気がついたら整形外科に進んでいた。家庭医の気持ちをわかる専門医でいてくれるといいのだが。

とにかく、八藤 氏は家庭医を目指して初期、後期研修と進んだ為に、その後あちこちの家庭医の集まりで顔を合わせ、近況報告をしあいながら、最近指導医となり、昨年度のHANDSにも参加してくれ、今年はスタッフとして手伝ってくれている。そこでフェローの外来指導の風景をビデオに撮ってきてもらい皆でフィードバックをしあうのだが、非常に原則に則った、カツ、その場に適切な洞察の深いコメントをしてくれる。指導の経験が十分あることがよくわかる。

所属する組織でも大きな責任を前向きに引き受け頑張っている。これからますます楽しみな輩である。そして彼が今の居場所で、幸せに、元気にやっていること。それこそが私にとって「あなたの幸せは、私の幸せでもあるのです。」

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    はんなりMSU留学体験記(Blog紹介)

昨年2007年の前半4-5ヶ月KFCTに短期研修に来て下さっていたchisatoさん(写真で誰か知っている人はわかるが、blogでは本名を公表していないので)のblog。
ミシガン州立大学でいろいろ見て回っている米国の家庭医療とその育成についてのレポートが載せられている。

臨床留学(レジデンシーなど)は一概に向き、不向きがあるので全員に勧めるわけではないが、短期の見学はすべての人が行くとよいと思う。それは自分を相対化して、客観的に見るには外から眺めるしかないからである。

彼と一緒に働いた数ヶ月の彼の印象と、blogの記載を比べると、他の個人的に知っている人についても同じだが、彼も口べたな印象がある。(というか私がしゃべりすぎて、彼が聞き上手なだけかもしれないが)

たとえ短期間であっても、私との対話、KFCTでの経験(臨床、同僚との交流など)が何らかの形でそれぞれの皆さんの糧となれば、それが何より。


1/8のentryで記述されるDr. Munroの診療は一人あたりの診療時間や診療時間の長さなどは日本の開業医とよくにている。

見学を中心とする留学、(勿論実際にやる『レジデンシー』でも)での本当の挑戦は帰国後から始まる。いかに日本でそれらの体験から日本で取り入れるべきものを実際に取り入れ、現場を変えていくか。

それが出来ないと、頭ばっかり大きくなって、海外にはこんないいことがあるというのと日本にそれがないこととのギャップでストレスはたまるし、自分は気をつけていても、周りからすると「海外かぶれ」で「~ではこうだ」と「ではの神に」なってしまうし、何も知らずに日本式のこれまでのやり方をやっていたときの方がよかった。ということになってしまう。

そのためには、日本に戻る前に、「新しく学んだことをいかに現場に落とし込むか」について、具体的な行動計画を書いておく必要がある。これは、学会や研修セミナーについても同じ事。

研修に行っても現場が変わらないことの一つの大きな理由として、研修終了時までに現場での行動計画が具体的でない、という事がある。(以下の本に詳しく)

効果10倍の“教える”技術―授業から企業研修まで (PHP新書)
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chisatoさん、帰国後どうするか、いま考えて下さいね。

2007/10/01

    Family Medicine (STFM) Volume 39 Issue 8

表題の号より抜粋

Family Medicine Specialty Selection: A Proposed Research Agenda
この号で一つ,というならこの論文.
家庭医療という専門を選択することに関してどのような視点で研究をすればよいかという事への提案.リサーチのアイデア満載.
Table 2参照のこと
Table3にはどのような研究デザインを使用すればよいかについて提案.

勇敢な研究者求む!


Entry of US Medical School Graduates Into Family Medicine Residencies: 2006—2007 and 3-year Summary

各医学部の卒業生の何%が 家庭医療のレジデンシーに進んだかの3年間のまとめ.
最高が21.7% カンザス大学(2006年は178人中39人)
下の方にはアイビーリーグが並ぶ
最下位の10校のうち,家庭医療学のDepartmentを持たないのが7校(Departmentを持たない医学部は8校しかない),部門(division)しかないのが1校,Centerしか持たないのが1校.
大学の価値観と医学部の進路は相関する.
2006年の全国平均は8.5%
日本の場合100人のうち8-9人が家庭医療に進めば上等だと思うが.

Results of the 2007 National Resident Matching Program: Family Medicine

58%は米国医学部以外の人間でマッチする.(ほとんどがIMG:International Medical Graduate)
これから家庭医の認定を取る人たちの10人に6人は外国人ということ.この数字のトレンドを追いかけることに何の意味があるのかよくわからないが.ただし,純粋なIMGは20%ぐらい2005年から減少傾向.
マッチしたひとのうちIMGが多い順に核医学,内科と来て家庭医療が続く.

Women's Health Content Validity of the Family Medicine In-training Examination
Women's healthがどのぐらい教育の中で重要視されているかを,In-training Exam(年に1回レジデントが受ける認定医試験の模擬試験)の問題を分析することで見る.
過去10年間3460問のうち,23%がWomen's healthに関する問題.これを,AAFPの推奨カリキュラム

プライマリ・ケア何を学ぶべきか―米国家庭医療学会研修ガイドラインから
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のWomen's healthに挙げられている13の分野に分類すると,全体の18.6%は生殖と性器の問題であり,そのほかの問題は4.6%しかなかった.
バランスが悪い,という話.
量が適切かという問題は難しいが少なくとも問題作成者側における重要視の度合いとしてはとれる.
ただ患者,地域のニーズに合致しているかはこれだけではわからない.


Assembling Patient-centered Medical Homes—Is This Focus on Patient Care a Distraction From STFM's Primary Mission?

より,有用そうなリンク2つ
Patient Centered Primary Care Collaborative

The Institute for Family-Centered Care
詳細はまたの機会に