2009/06/25

    ジェネラリストになろうとする際に感じる不安の元となるジェネラリストとスペシャリストの役割に関する6つの誤解 (McWhinneyより)

引き続きMcWhinneyを再訪しています。
我々が考えつくことというのは通常既に先人が考えついていて、答えが示されていたり、既に形になっていたりするものです。
表題通りですが、ジェネラリスト自身も、それになろうかと考える人たちも頻繁に出くわす批判や質問ではないでしょうか。あくまで見出しは「誤解」ですので間違えることのないよう。

pp23-27

1. ジェネラリストは医学の全ての領域をカバーしなければならない。
2. 医学のどの領域を取り出してみても、常に、その領域のスペシャリストはジェネラリストよりも知っている。
3. 専門分野に進むことで不確実性というものは除去できる。
4. 専門分化することにおいてのみ、深い知識(depth of knowledge)を得ることができる。
5. 科学の進歩によって情報量は増加する。
6. 医学における過ち、誤りは通常情報不足から起きる


だからスペシャリストになる方がよい、ジェネラリストになるのは不安というのは誤解に基づいた決断であるということです。(真っ当な理由でスペシャリストになるのは全然よいと思います)

McWhinneyとFreemanの主張を見てみましょう。(以下、岡田による意訳と翻案)

1. ジェネラリストは医学の全ての領域をカバーしなければならない。

ジェネラリストの知識はスペシャリストと同様に選択的(selective)である。スペシャリスト同様、ジェネラリストは自分の役割を全うするために必要な知識を取捨選択している。
(例:くも膜下出血において、ジェネラリストに必要な知識は、初発症状、早い診断と紹介に必要な手がかりについて。脳外科医は詳細な病理、診断と外科的治療の知識。当然、疾患によってはマネジメントまでジェネラリストが知っていなければならない場合もある)

2. 医学のどの領域を取り出してみても、常に、その領域のスペシャリストはジェネラリストよりも知っている。(どの分野でもジェネラリストはスペシャリストに知識量では勝てない)

これはジェネラリストの「どの領域をとってみても「これは自分たちの専門領域だ」と呼べるところがない」という感情の代弁であろう。しかしながらこれは真実ではない。我々は頻繁に遭遇する問題については非常に物知りになる。一方スペシャリストは疾患の非典型的な例について物知りになる。(非典型的なために診断がつかずジェネラリストから紹介されてくるから。大学病院や子供病院の小児科の研修医が一度も水痘の子供を診たことがない、というのと同様。予防接種の普及不足という問題は別にして。)時にジェネラリストは日常高頻度問題(common problem)の典型的な事例について、たとえ自分が答えは何か、どうすべきかわかっていても、家族のプレッシャーや不安などで、スペシャリストに紹介することがある。その時に意外とスペシャリストは疾患の典型的な例についてあまり取り扱ったことがないので意外とどうしたらいいかの知識がないことに初めて気付くことがある(フリーアクセスの日本では多少事情が違うかも知れませんが、それでも、同様の経験は多数あります。岡田注)
それらの現象は補完的である。なぜなら、ジェネラリストが紹介例を取捨選択するからこそスペシャリストのそのような知識集積体系になるからである。

3. 専門分野に進むことで不確実性というものは除去できる。(ジェネラルでやると、自分で解決できない場合も多くストレスがたまる。専門を持てば「わからない」「予測できない」ということはなくなるのでは)

北米家庭医療創世期の巨人の一人Gayle Stephensによると、「不確実性を取り除く唯一の方法は、その問題をもっとも単純な要素に落とし込み、その周辺領域との関係を絶つことである」と述べている。そして、このような仕事の仕方をする臨床分野があるとするとそういう領域はあっという間に価値を失い消滅する。


4. 専門分化することにおいてのみ、深い知識(depth of knowledge)を得ることができる。

depthとdetailを混同しないことが重要。深い知識(depth of knowledge)というのは、意識の質によって規定されるのであり、情報の中身ではない。
ここで例として、戦争において、目的とその戦術において議論すべき状況で、手に入る有刺鉄線とガソリンの量について議論していた上官の例を挙げています。depthとdetailを混同し本当の問題を見失っていたと。


5. 科学の進歩によって情報量は増加する。(であるから、1とも関連するが、ジェネラリストとしてやるのはどんどん不可能になる。)

1と同様、ジェネラリストをやるならすべて知っていなければならないという呪縛に縛られています(岡田注)。

逆であるとMcWhinneyは述べています。「もっとも未分化な科学の領域ほどもっとも情報量が多い」非常にうんちくの多い言葉です。今の新型インフルエンザの例を考えてみましょう。わからないことや真理がまだ無いからこそ、多くの調査報告が出てくるんですね。
Sir Peter Medawarを引いて、「サイエンスにおける具体的な知識量の負荷はその領域の成熟度と逆比例する。サイエンスが進むにつれ、個々の小さな事実はその大領域の中で理解され、ある意味、一般化しつつある根本理論の中に取り込まてしまう。つまり、意識的に明文化され、意識されなければならないものではもはやないとして。」(成熟している領域ほど、その上位にあるメタ理論的なものの応用で対応可能だったり説明可能だったりしてとりこまれてしまうから。ということです)

続けて、McWhinneyはinformationとknowledgeを混同してはならないといいます。informationは確かに指数関数的に増える一方だが、それらの多くはほとんど価値が無く、寿命が短く、スペシャリストに対してのみの技術的な興味のみであり、そしてその多くは、医学の本質的なknowledgeに組み込まれるか、最終的に否決されることになる仮説を検証するためだけのものなのである。と

6. 医学における過ち、誤りは通常情報不足から起きる

情報不足から起きる医療事故はあまり無く、多くは、不注意、思慮不足、無関心、傾聴しないこと、運用上の非効率、コミュニケーション不足等が原因で、その他の多くは、知識不足というよりは医師の態度や技術的な問題から起きる。もちろん一般の人は医師がいっぱい知っている方が良いに決まっているが、それが医療の質の高さを保証するわけではない。また、医師は情報をどのように得て、利用するかについても習熟していなければならない。

(中略)

最後に、付け加えておきたい2点として、
1.家庭医がジェネラリストだからといって、すべての家庭医が全く同じ知識と技術を持っているということを意味しない。すべての家庭医は患者さんに対して同様のcommitmentを持っているが、興味や研修内容によって、知識や技術は重ならない場合も多い。このことがグループ診療において、その診療所の豊かさの源となる。特に僻地と都市部でその違いははっきりするが、それは、自分たちの診療する地域の資源と患者のニーズによって適応を遂げた結果であり、どちらもその地域の患者と地域のニーズに合わせて、(結果として)包括的に対応している家庭医なのだ。
重要なことは、決して細分化に至ってはいけないということである。家庭医は多少分化しても良いが、細分化してはならない。その時点でジェネラリストの役割は失われてしまう。(言葉遊びかもしれませんが、differentiationはよいが、fragmentationはだめと。)

Family Physicians may be differentiated, but family medicine should not fragment. If it were to do,the role of generalist would be lost.

2.家庭医は臨床領域の境界を越えて活動するだけでなくさらに困難な境界も越える。それは医療と社会的問題の境界である。この境界は明瞭であることはほとんど無いために難しい。患者の問題はその上に馬乗りになっている。であるから家庭医は臨床医療とカウンセリングを行う専門家の境界面をうまく取り扱う責務を負う。

とされています。

これ数回に分けるべきだったかも知れませんが非常に深いので一気にやってしまいました。

中略の部分には
ニーチェが呼ぶところの逆障害者(inverted cripples):臓器を失ったからではなく、特定の臓器を過剰意識してしまったために障害が出てきた人の話や、常に教育そのものが特定の分野で秀でることと関連づけられ、バランスは無視されたためにいわゆる人類の知恵(wisdom)が喪失されているのでは、ということ、同様に卓越(excellence)が何の分野にせよ、ある特定のことに関しての能力の限界までの引き上げのことを意味したため、そのために失われることが無視されてきたことなどが語られています。

そして「ジェネラリストになろうと決断した際に」に続けて、
「家庭医はバランスと全体性を優先するためにある特定の分野だけを伸ばすということを棄権した」と書いています。家庭医はその決断をしたことによって、支払うべき犠牲はもちろんある。その存在そのものがバランスをなさない社会からの認識不足。全体の卓越のために特定の才能を犠牲にすること。
しかし、個人的な見返りは甚大である。

「only men who are themselves whole, can understand the needs and desires of other men.」(自分自身が全体である人間だけが、他の人間のニーズや欲求を理解することが出来る)

それ自身がすばらしい文章のためコメントは控えます。

2009/06/24

    Family Medicine Journal Volume 41 Issue 6 2009 June

久しぶりにjounal watch.表題の号から。(本来は毎月やりたい雑誌が3冊ぐらいあるのですが。。)
メインのリンクとタイトルだけ出してコメントをしておきます。著者や詳細は各自でどうぞ。

http://www.stfm.org/fmhub/toc.cfm?xmlFileName=fm2009/fammedvol41issue6.xml

Drug Promotion in a Family Medicine Training Center: 21 Years Later

21年間で製薬会社の名前の入ったペンやその他の販促グッズがどのぐらい減ったかの小さな報告。
これも取り組まなくてはいけません。


Advanced Procedural Training in Family Medicine: A Group Consensus Statement

昨日のエントリー参照

Family Medicine Residency Characteristics Associated With Practice in a Health Professions Shortage Area

Community Health Centerでトレーニングを受けたレジデントは研修修了後医師不足地域で仕事をする可能性が4倍ぐらいという話。こういう関連については多くの報告が。

Practice Management Residency Curricula: A Systematic Literature Review

診療所運営をどう教えるかについて、またその効果についての論文は33しかない。質や中身もバラバラ。論文のニッチのエリア。

Medical School Curricula: Do Curricular Approaches Affect Competence in Medicine?

医学部の話。臓器別カリキュラムか、分野別(生理、薬理など)カリキュラム、PBLかでUSMLEのスコアに差が出るか。という話。差はなし。

Factors Associated With a Physician's Recommendation for Colorectal Cancer Screening in a Diverse Population

大腸癌検診をやりましょうと進められるのはざくっと5-7割の患者。女性医師の方がより推奨する (56% vs67%)など。

Effects of Implementation of a Team Model on Physician and Staff Perceptions of a Clinic's Organizational and Learning Environments

チームで診療すると職場が良くなるという話。

Essays and Commentaries
Translation of Clinical Research Into Practice: Defining the Clinician Scientist

今以上に地域で診療する医師で研究をする人が必要、という話。

とにかくアイデアはそこら中に転がっているがimplementationからmeasurementそしてpublicationさらにdisseminationまで持って行くのは至難の業。

2009/06/23

    家庭医に必要な手技 (advanced編)

以前のエントリー
2008/05/12 家庭医に必要な手技,手技の能力の評価と記録,hospitalistに必要な能力
で取り上げた論文

Required Procedural Training in Family Medicine Residency: A Consensus Statement

Melissa Nothnagle, Julia M. Sicilia, Stuart Forman, Jeremy Fish, William Ellert, Roberta Gebhard, Barbara F. Kelly, John L. Pfenninger, Michael Tuggy, Wm. MacMillan Rodney, STFM Group on Hospital Medicine and Procedural Training

(Fam Med 2008;40(4):248-52.)


の続編(update)が今月号のFamily Medicine誌で取り上げられている。

Advanced Procedural Training in Family Medicine: A Group Consensus Statement
Barbara F. Kelly, Julia M. Sicilia, Stuart Forman, William Ellert, Melissa Nothnagle
Fam Med 2009;41(6):398-404


一応前回の論文で規定されたcore proceduresがSTFM,AAFPに承認され、RRCに今後の改訂の際に参考にするように提出された後、特に手技の教育を多くするプログラムや、レジデンシー修了後にやる手技としてのadvanced procedureのリストが必要、という話になった。ついでに前回のcore proceduresのリストについても見直しましょうということに。そのやり方は前回の時と同様。

カテゴリー分けも前回と同様であるが、Bカテゴリーの定義を微妙に変更(以下変更を含めた再掲。変更部太字)

領域毎に,core procedures for family medicineとして
A,B,Cにランキング AをA0-A2に細分化 

A:すべての家庭医療研修プログラムがこの領域の手技の研修を提供する必要がある
A0:このレベルは,すべてのレジデントが医学部修了,もしくはレジデンシーの途中で出来るようにならなければならない,研修の証明や数の記録は不要
A1:全てのレジデントがこのレベルの手技が卒業までには独立して出来るようにならなければならない
A2:全てのレジデントがこのレベルの手技にふれ,卒業までには独立して出来るようになるための研修する機会を得られる必要がある.(必ずしも出来るようにならなくても良い)
B:このレベルは家庭医療の範囲内であるが,レジデンシー修了までに独立して出来るようになるためには数多く,集中した研修をする必要が生じうるもの
C: このレベルは家庭医療の範囲内であるが,独立して出来るようになるためには3年を修了後追加の研修が必要になり得るもの


再度procedureの定義「患者のケアに関して、手先を利用して行う必要のある、認知的、かつ運動的活動」ということに基づいて、やはり多少判断を伴う心電図なども入れましょうと言うことになった。

結果core listには9個追加が生じ、advanced listとして(2008年の論文ではあげられていなかったが)B,Cのカテゴリーに属するスキル36種類規定されることになった。(今回のtable 2と3)
この先、何を持ってそのスキルは"competent"とするかにおいて議論がさらに必要であるが(もちろん実施回数ではないことは確か)、まずはリストが設定されたことが重要であろう。

日本のプログラムにおいてもこれらを参考にしながら、自分たちのプログラムでレジデントがきちんと出来るかどうかを保証しているかどうか、保証する必要があるかを考えるきっかけとすることが出来る。

ちなみに我が社(私たちのプログラム)では、2008年にその手技を規定、去年試験運用をして、今年から本格運用をしています。まだ改善の余地はありますが、「あなたのプログラムで認証が必要な手技は難ですか」といわれたら提出できるリストがあります。(厳密には手技以外も含んでいるのですが)

前回のリストも今回のリストも部会(STFM Group on Hospital Medicine and Procedural Training)の中から20人前後のメンバーがこれだけのために丸2日間集まってやったというのがみそ。

しかもそれぞれの部会は参加が自由な(日本人のあなたも私も希望すれば入れる)ところがみそ。執行部と理事会だけでやろうとしないことが重要、そのためには裾野(会員数)が広くないと駄目。そのためには入会の魅力が必要。

どんどん進めていかないと。(言うのは簡単であるが。。。)

2009/06/18

    温故知新 Textbook of Family Medicine 第3版 by I. McWhinney & T. Freeman

教科書には2種類ある。その領域に必要な知識をカバーするためのもの、そして、その領域を定義して、概念化するためのもの。この本は後者に属する一冊である。臨床領域の教科書のほとんどは疾患を分類する伝統的な方法にあわせて書かれているが、家庭医療の教科書がそのような構造をとろうとすると2つの問題に直面する。家庭医は問題が分類されるよりも前に問題に遭遇する(診断がはっきりしない)。原則的に家庭医はあらゆる種類の問題に対処をする準備ができている(もちろん適切な紹介も含めて:岡田注)。つまりどれほどまれであっても、家庭医療の現場で出会う可能性のない疾患など存在しない。もし教科書がその領域にわたる全ての知識をカバーしようとすると、内科の教科書の焼き直しになってしまうリスクを抱える。さらに深刻なことに、時に家庭医療でも使用されることはあるが、基本的には、従来の構造(おそらくbiomedical model;岡田注)は我々の領域において非常に自然である有機的な思考体系(おそらくbiopsychosocial modelを代表とするシステム理論など:岡田注)とは矛盾しているという意味において、家庭医療はその他の分野から異なっているのだ。(翻訳岡田)



総論屋、理屈派、原理原則論重視人間の私としては、歴史をよく学んでそこから生かせることがないかいつも考えたり、Classic(古典)に立ち返ることを重視しています。(というか好きなだけなのですが)

香港でのWONCA に参加したことの収穫の一つにPatient-centered Medicine: Transforming the Clinical Method: Transforming the Clinical Method(下記:以下PCCM本)の著者であるMoira Stewartの講演を聴き、個人的にお話しできたことがあります。そのスクープは追ってお話しするとして、そこでPCCM本の第3版の話がでていること、また家庭医療の古典の一つであるマクウィニーの教科書が改訂になったばかり、という話を聞きました。

早速購入。昨日届きました。また私としては、最初にPreface(前書き)なぞを通読してしまうのです。(意味のない作業ではなく、特にそれまでの版を読んでいる場合、どこが改訂になったかをまず知る方が効率がよいからです。ガイドラインの改訂と同じです)

そのprefaceの最初の段落を最初に挙げましたが、(英語だとかなり格調高い文体なのですが...) 家庭医療の本質をよく表しています。

同様のラインでは廣岡 伸隆氏の投稿が参考になります。
廣岡 伸隆 Family Practice 概論 より良い理解のためのイントロダクション ―米国Family Practice Residency の経験から―
家庭医療11巻1号 2004 pp.66-71

つまり、家庭医療は医学、生理学、社会学、心理学などなどの多くの学問から得られた知見をもとにしてそれを適切な場面で適切に組み合わせて実践する2次学問であるということ。

その他の第3版の変更点としては初めてThomas Freeman氏を共著者にして、単著ではなくなったこと、McWhinney氏とFreeman氏が二人で第2版の抄読会を進める中で時代遅れになっている部分や改訂が必要な部分を変更したことなどが書かれています。

五つだけ臨床問題に関する章(咽頭痛、頭痛、疲労、糖尿病、高血圧)が用意されていますが、その意図については以下のように書かれています、

前述の通り、家庭医療という領域がカバーする全ての知識を網羅することはできないこと。疾患の分類にあわせて教科書を構成するという行為自体が、家庭医療のものの見方に相反するということなどから、あくまで、1−10章にかかれた家庭医療の基本的原理の実践例や実践方法を例示するためのものである。(岡田意訳)

一応具体的な治療方針などについては執筆時の最新のカナダのガイドラインなどにあわせていますが、時間とともにそれは古いものとなるため、その都度最新の情報を参考にする必要があること、特に薬物療法に関しては、今の時代、どの教科書でさえも、適切な情報源とは言えないため、特に理由がなければ具体的な投薬のレジメ(dosage)については意図的に言及しない、ことが書いてあります。

ではなぜあえて臨床のトピックを扱う章を用意するのか。
前述の「あくまで、1−10章にかかれた家庭医療の基本的原理の実践例や実践方法を例示するためのものである。」が全てを語っていますが、その5つについてはprefaceで症状3つと古典的な疾患概念である糖尿病、生理学的な多様性と危険因子についての高血圧という風に説明されていますが、具体的にそれらの章を眺めてみると

急性咽頭痛では、いわゆる検査前確率などの診断精度の問題、家族の影響、見逃してはならない診断(もちろん急性喉頭蓋炎)など診断の周辺と費用対効果に乗っ取ったマネジメント(全員治療vs検査で治療vs etc)
頭痛では鑑別診断、自然経過でなおることの多い疾患のマネジメント、見逃してはならない診断、急性期の治療、予防、慢性化した頭痛の治療)
疲労では心身相関や精神疾患の症状としての身体症状、鬱病、慢性疲労症候群
高血圧では、疫学、人種や年齢その他の危険因子毎の発生率の違い、診療所のシステムとして未診断の高血圧を見つけるシステムの構築、薬物治療へ踏み切るタイミングなど
糖尿病では一般的な慢性疾患の管理(合併症予防まで含めて)

と言った具合である。ただしそのbiomedicalなマネジメントの内容は場合によっては他の書籍の方が優れた内容を提供していると思われる場合も多く、prefaceにあるように、そのトピックの診断、治療について学ぶというよりは、その例を通じて、家庭医療の理念に基づいた疾患のスクリーニング、診断、治療、管理、家族との関わりなどの表現方法を学ぶことに徹する方がよいだろう。

Part 3は家庭医療の実践、ということで、往診、記録(電子カルテも含めて)、紹介、コメディカル、地域資源の利用、代替相補医療(CAM)、診療所運営の章立てで、この部分が特に最近の進歩にあわせて大幅の改訂がなされたようである。

Part 4は生涯学習とリサーチ。

まとめるとやはりprefaceの第1文にあるようにこの教科書は家庭医療を定義して、概念化するための教科書であり、その理論的基盤はやはり現代でも通用するclassic(古典)としてその位置は揺るがない。最も価値のあるのはPart I(基本原理)の1−10章。ただ残りのpart2~4は一部参考になる部分があるものの、よりよい内容を得られる類書も多く、個人的にはむしろない方がこの教科書の価値を高めるのではないかとまで感じられる。

家庭医療の教科書をひもとく楽しみはその「総論」「基本的理念」にある。それぞれの著者がそれぞれの「家庭医療観」に基づいて章立てと構成、理論展開を行うため、その著者の「家庭医療観」がよくわかるからであり、それはさらにいくつかの教科書を比較することでよくわかる。

米国のSaultzやSouth-Paulのものと比較すると、米国のそれは非常にダイナミックであり、いわゆるcutting-edge(変化しつつある最先端)を明確に意識し、できる限り適応しようとする意図が見える一方で、McWhinnyのそれは、英国圏の影響であろうか、徹底的に基本的原理を守ることが重要であり、時代の変化に対しては必要だから対応する、というような半ば受け身の雰囲気も感じられる。

私自身はどちらの肩を持つでもなく、その差異そのものの存在を喜びたいと思う。McWhinnyの弁護をしておくと、その第1章のごく早い段階(p6)において、医学の高度専門分化の歴史を語った後に、考えなければならない2つの教訓として

1. もし専門家(profession)がパブリックのニードを満たすことができなければ社会は自らのニードを満たすために何らかの方法を見つけ出す、場合によってはその専門家集団の外にいる人たちに解決を求めて。(例えば代替相補医療もその一例かもしれない)。
2. professionは時には、社会からの圧力に対応する形でそのメンバーの主張する方針や意図に反する方向で進化することがある。


を挙げていることを指摘しておきたい。

なんだかんだといいながら書評を書いてしまいました。
これから少しずつ熟読を進めていきます。

Textbook of Family Medicine
Ian R. McWhinney, Thomas Freeman
Oxford University Press, USA ( 2009-04-08 )
ISBN: 9780195369854
おすすめ度:アマゾンおすすめ度



Moira Stewart, Judith Belle Brown, W. Wayne Weston, Mcwhinney, McWilliam
Radcliffe Medical Press ( 2003-07 )
ISBN: 9781857759815






CURRENT Diagnosis & Treatment in Family Medicine Second Edition (LANGE CURRENT Series)
Jeannette South-Paul, Samuel Matheny, Evelyn Lewis
McGraw-Hill Medical ( 2007-09-04 )
ISBN: 9780071461535

2009/06/16

    第21回家庭医療学夏期セミナー 募集中 (締め切り 7/10)

引き続き セミナー関係

家庭医としての私があるのはこのセミナーのせい(ではなくておかげ)です.
恩返しとして帰国後は出来る限りの協力をしています.とはいうものの今年はすごいことになりそうです.

セミナーHPより抜粋

第21回家庭医療学夏期セミナー
2009年 8月7日(金)~8月9日(日)
場所  ホテル磯部ガーデン 舌切雀のお宿

http://family-s.umin.ac.jp/kasemi/index.html
http://ameblo.jp/kakisemi/
http://family-s.umin.ac.jp/kasemi/poster21.pdf

2日目 セッション サムライの如く学ぶ ~一人でできる学びのコツ:個として自立するために~
http://family-s.umin.ac.jp/kasemi/session2d.html

3日目 セッション 家庭医だからこそできる、妊娠前から出生後までの親子・家族への関わり方

伊藤 かおる 亀田ファミリークリニック館山
大原 紗矢香 弓削メディカルクリニック
上川 万里子 亀田ファミリークリニック館山 看護師・助産師・国際認定ラクテーションコンサルタント(IBCLC)
児玉 和彦   耳原総合病院 小児科
篠原 翼    亀田ファミリークリニック館山
田口 智博   名古屋大学医学部付属病院 総合診療部
西岡 洋右   西岡医院 院長
岡田 唯男   亀田ファミリークリニック館山 院長

3日目 最終講演 家庭医療に未来はあるのか?
http://family-s.umin.ac.jp/kasemi/session3d.html



申込締切 : 7月10日です. お早めに!(6/4から募集開始しています)


今年の残りの講演予定などを更新.減らそうと思っているものの,やっぱり今年も20本近くになりそうです...
Multifaceted Tadao Okada - 講演、講師

2009/06/15

    「求められる家庭医・総合医」明日の臨床研修教育を考える 試写会&合同シンポジウム :平成21年6月20日

セミナーのお知らせばかりで恐縮です.

医療における安心・希望確保のための専門医・家庭医(医師後期臨床研修制度)のあり方に関する研究班

関連シンポジウム

として

「求められる家庭医・総合医」明日の臨床研修教育を考える 試写会&合同シンポジウム(PDF:218KB)

が行われます.
以下上記pdfから抜粋

主催:財団法人がん集学的治療研究財団
共催:厚生労働科学研究費補助金がん臨床研究事業がん医療の均てん化に資するがん医療に
携わる専門的な知識および技能を有する医療従事者の育成に関する研究(片井班)
入場無料

シンポジスト(敬称略、50音順。当日変更、追加がある可能性があります)
秋山美紀 慶應義塾大学総合政策学部
加藤章  成宗診療所(杉並区) 院長
小宮山学 亀田ファミリークリニック館山
竹内麻里子 医師のキャリアパスを考える医学生の会
土屋了介 国立がんセンター中央病院院長
浜名哲郎 富士見診療所(鎌倉市) 院長
松岡慶  市立伊東市民病院臨床研修医
村林彰  村林クリニック(目黒区) 院長
吉野雄大 慶應義塾大学医学部学生


私たちのプログラムで研修を終えたばかりの小宮山医師がシンポジストとして参加してくれます.(私は別のWSでいけません)

くだんの研究班(以下の関連エントリー参照)の班長も癌センターですし,今回の主催,共催も癌関連で,家庭医との関連は?と思う人もいるかも知れませんが,

がんはcommon disease(高頻度疾患).家庭医はcommon disaeseの専門家.common disaeseの診療の質を上げるには,それを取り扱うgeneralistの質を上げなくては話にならないので至極当然のこと.沢山の患者さんがいるので沢山の医者のレベルを上げなければいけないわけです.

一般の方へ,あなたの家庭医はいつ,どのようながんの検診を受けるべきかについて具体的な推奨をしてくれるでしょうか?

generalistの方へ,自分の患者さんに,いつ,どのようながんの検診を受けるべきかについて「個別の」具体的な推奨をするための指針を知っていますか?


関連エントリー
「医療における安心・希望確保のための専門医・家庭医(医師後期臨床研修制度)のあり方に関する研究班」のホームページ
2008/10/7

医療における安心・希望確保のための専門医・家庭医(医師後期臨床研修制度)のあり方に関する研究 総括研究報告書(骨子)の公開  2009/3/25

ところでこのシンポジウムで取り上げられる西川美和氏監督のディア・ドクターという映画.注目しています.
西川美和氏には前から注目していた(まだ一つも作品は見れていないのですが,「彼女の「ゆれる」はかなり評価が高かったこと,笑福亭鶴瓶と瑛太という配役.アカデミー賞の登竜門である第33回モントリオール世界映画祭の「ワールド・コンペティション部門」に選出.:関連記事)からです.

以下はネタばれ注意なので承知の人だけ見て欲しいのですが,医療,医師患者関係の基礎となるのはサイエンスだけではなく,信じる,信じられる(患者から医師の一方向だけではなく,双方向性に)ということが重要であることを考えさせられる映画のようです.基本的に医療,医師などを取り扱った映画,ドラマ,バラエティーは見ないのですが,(おくりびともまだです)これはそのうち見ることになりそうです.

ディア・ドクター公式サイト

ディア・ドクター:速映画批評(ネタばれ注意)

2009/06/12

    第1回 夏期臨床医学教育セミナー Noguchi Summer Medical School

私が家庭医になることへの後押しをしてくれた野口医学研究所.そのサポートを得てそのキャリアに磨きをかけた同志(アラムナイ)たちの主催で,下記のような企画が始まります.日本への恩返し企画です.

これまでの野口医学研究所主催の医学交流セミナー(いわゆる留学セミナー)と違うところは,一部を除いてほとんどを日本語でやるということです.

私自身も講師として土曜日のみの参加ですが,今から楽しみにしております.

第1回 夏期臨床医学教育セミナー
Noguchi Summer Medical School


<日時>

2009年7月10日(金)、11日(土)、12日(日)
※10日(金)の12:00開始、12日(日)の12:30終了となります。
※金曜日が研修等で参加のできない学生の方は、土曜日の朝からの参加可とします。
 なるべく2日目の 朝から参加できるようにお願いいたします。 

<対象>

・ 医学部5・6年生      (48名)
・ 医学教育担当教官・指導医  (12名)
※将来指導医を目指す研修医も可


乞うご期待

2009/06/07

    中国の国家情報統制?

香港滞在中はばりばりWONCAの情報をupしようと思っていたのですが、滞在中ずっとネットにはつながるもののどうやってもblogに投稿ができなくて(写真を除外してもブラウザーを換えても、メールから投稿してもエラーか、反応なし)、困っていたら、以下のようなエントリーを発見

ある小児科医の育自 ~根拠?に基づく育児を目指して
水曜日, 6月 03, 2009
中国当局はbloggerもブロック

http://mashable.com/2009/06/02/china-blocks-twitter-and-almost-everything-else/
によるとyutubeだけでなくbloggerやtwitterなど色々中国がブロックしているようです。
(proxyを通して書いています。)

実はhotmailもブロックしているようでgmailだけに頼っているとリスクありますね・・・

thunderbirdでローカル保存と他のプロバイダからもgmailのコンタクトリストを使って
メールできるようにしておくにこしたことないですね


上記のリンク先の情報からでは

6/4の天安門事件20周年が直前に迫り、blogger,twittter, youtubeその他のソーシャルネットワーキングに関連するメディアをブロックしたとのことです。(そんなこと出来るというのがすごい)

China Blocks Twitter (And Almost Everything Else)
June 2nd, 2009 | by Stan Schroeder
It seems that as of today, the Chinese authorities have blocked internet access to Twitter, Flickr, Bing, Live.com, Hotmail.com and several other sites. Wordpress, YouTube, Blogger are also blocked.

According to early reports on Twitter and on blogs it seems that the Chinese authorities want to quiet down the entire major social networking and social media part of the web ahead of the 20th anniversary of Tiananmen massacre on June 4th.

As far as solutions for evading the block go, you can find some advice here and here. Furthermore, Twitter may be working if you’re using third party apps to access it, such as TweetDeck.


ということでそのことすらblogにかけずに困っていてtwitterはどうかと試していたところ、twitterは大丈夫なようでしたので、とくてのMLと、twitterでそのことだけ少し流しました。

初日の夜に、このことでいろいろとやっている間に急にbloggerが機能しだして一瞬だけエントリーを挙げることができたのですが、その後すぐに、また挙げられなくなりました。コンピュータの不具合かもとも思いましたがたくさんのこれを裏付ける情報がありました。

天安門事件から20年--記念日に向け多くのサイトでアクセスが遮断
文:Dong Ngo(CNET News)
翻訳校正:編集部
2009/06/04 13:16
http://japan.cnet.com/news/media/story/0,2000056023,20394345,00.htm

MSの新検索サービス「Bing」、中国内でアクセス禁止に
http://journal.mycom.co.jp/news/2009/06/03/070/index.html

天安門事件の記念日を前に、中国でTwitter遮断6月4日の天安門事件20周年を控え、中国からTwitterやHotmailにアクセスできなくなったという。(ロイター)
2009年06月03日 15時10分 更新
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0906/03/news063.html

中国が全力でTwitterをブロック中・・・
http://www.ideaxidea.com/archives/2009/06/twitter_banned_in_china.html

GFW, Twitterを遮断
http://hua.yinguo.net/arc/2009/06/20090602-2055.php


本当に一瞬の隙でbloggerなどつながることはあるようです。

以前ある人から、
boundary is important. boundary creates diversity. (多様性の維持のためには境界は不可欠)
という言葉を言われてずっと頭に残っています。

今回の中国の統制に賛成する訳ではありませんが、現在のグローバリゼーションの中で日本も含めて、世界中が効率性と安さというロジックでそれにそぐわないものが消失していく状況(昔からの守るべき伝統など)を見ていると、ネットを通じて全ての情報が行き来する世の中でその国らしさ、自分らしさというのを維持することとはどういうことなのか、いろいろな情報の波に翻弄されないために時として意図的に境界線を引く(MLやネットを読まないなど)と行ったことも必要なのではないかと感じてしまいます。