2009/09/30

    Integrated Healthcare Networkにおける家庭医療クリニックの貢献とこれからの課題 その後

家庭医はinterface(接触面)を扱う仕事という発言を時々しています。

当直明けや勤務交代での申し送り(hand off)でよく、情報のもれや勘違いが生じ、医療の質低下の原因となることが最近研究のテーマとしてもよく取り上げられています。

当然,医師の間での紹介、逆紹介のときにも同じ事は起こりえます。紹介状の書き方などが重要です。その問題を少なくするひとつの方法論として Integrated Healthcare Network:IHNという方法が模索されているのは以前のエントリーで紹介しました。

大病院が力のあるプライマリケア部門をその内部に持つ事の利点、欠点について一年ほど前にまとめさせて頂きました。

ほぼ一年前のエントリー

2008/10/06  Integrated Healthcare Networkにおける家庭医療クリニックの貢献とこれからの課題

2008/09/22    日経産業新聞フォーラム2008

の本文、そろそろ解禁です。

Integrated Healthcare Networkにおける家庭医療クリニックの貢献とこれからの課題 【家庭医療クリニックと病院の連携例:亀田ファミリークリニック館山】 病院 特集「病院と家庭医療」 Vol....

2009/09/29

    Lynn Carmichaelの死亡記事から米国家庭医療の歴史をひもとく

歴史をひもとくのは懐古趣味だからではありません。歴史は勝者によって記されたものである(勝てば官軍)という事はありますが、それでも、予想する事のできない未来に対して最善の決断をするための重要な示唆が得られるからです。
また、継続性を大切にし、Contextを重要視する診療をする家庭医として、現在の自分や家庭医療という学問の立ち位置が大きな歴史的な流れという継続性の延長線上、現在どのようなcontextの中であるのか、という視点を踏まえて考える,というのはごく自然な流れでもあります。

最新号のFamily Medicine誌より。

John Frey, MD.  “Who Is Going to Take Care of the People?” Lynn Carmichael and His Times (Fam Med 2009;41(8):552-4.)(pdfです)

今は米国の家庭医すらLynn Carmichaelの事を知る人は少ないでしょう。私がFaculty Developmentの話をするときに必ず「予言」を引用する人です。

1967年 Lynn Carmichael「この新しい分野はすぐに教師に対し ての切実な,増大する必要性に直面する事になる.現実的には全ての教師が臨床からひっぱりこまれ,教育の経験のあるものはほとんどいないだろう」


米国の家庭医療の誕生は1969年です。その数年前に、この分野の急成長を予測しての発言です。最近の日本のgeneralistの指導医不足の状況とよく似ています。

彼がどういう人か。

北米家庭医療の創始者の一人。STFM(Society of Teachers of Family Medicine)の発起人。雑誌Family Medicineの最初の編集長。北米の家庭医の最初のレジデンシートレーニングの設立者。しかもそれらの仕事を35歳から40歳の間にやった。というとそのすごさと重要性が伝わるかと思います。

Founding President Lynn Carmichael, MD, died on June 19 at age 80

今年6月に彼が天に召されたということで、やはり北米家庭医療の創始者の一人であるJohn Freyが彼を忍んで当時の状況とともにまとめた追悼文が先述のリンクです。

まずは,当時の米国と米国家庭医療の状況に関する記述を彼の生涯と絡めて抜き書きしてみましょう。

*1960年代 テクノロジーと専門分化の波の中でGP(General Practitioner:現在の英国などでの他の専門分野と同程度のトレーニングを受けたgeneralistという意味ではなく、短期間のインターンシップ的なものだけで、開業してしまう人たちをそう呼んでいた)達の中で意見が割れていた(このまま幅広く診ることをつづけるか、それぞれが専門を持つか)

*当時のGPの団体AAGP(American Academy of General Practice)は1971年に最終的に家庭医療という専門としてやっていこうという決議にこぎ着けるまで1961年からの10年で6回この動議を否決している。(そういう意味では,日本の3学会の合併はましな方でしょうか)

*1年間ハーバードの小児科講座でフェローとしてFamily Careについて学んだその仕上げとして、1965年に彼が米国の歴史では初めて家庭医の育成に関する論文を発表(ちなみにJAMAに発表.日本では日本医師会雑誌に相当)

*AMA(American Medical Association: 日本医師会に相当)が市民団体を助成し卒後教育に関する報告書の提出に至る.(この報告書はMillis reportと呼ばれ、家庭医療の設立に重要な役割を果たした当時の3つの報告書(Millis, Willard, Folsom)のうちのひとつ。
"Primary Physician"というのを養成しましょう。というのが骨子。全文は以下で。ありがたい事です。
Mills report on Citizens Commission Graduate Education

*AMAはこの時期に,医学教育に関する委員会にこの報告書の内容をふまえたレジデンシー改革を周知徹底するためにだれかを採用するよう依頼、彼とLee Blanchard(彼も北米家庭医療の歴史では重要人物です)がその仕事を任せられ,全米中を奔走。

*レジデンシープログラムとして家庭医療が認められるためには最低15のプログラムが必要という事で、自分自身がひとつを設立。

*当時はプログラム認定基準も国の補助金も大学の家庭医療学講座もなく、当時なんとなく実施されていた2年間のGPレジデンシーを借用、内科や小児科と同レベルにするために一年追加して3年にした。そして,最も改革的だったのは研修の現場を地域に設定した。そしてその研修サイトを'model family practice clinic'と呼んだ。
(この辺りはプログラム認定の前で認定基準のなかった頃からレジデンシーを運営していた頃の自分やそのずっと前から、先進的に教育診療所として奈義ファミリークリニックを作った川崎医科大学総合診療科のこととかぶります)

*1968年の12月ぎりぎりに15のプログラムをなんとか確保。AMAが家庭医療の卒後研修を開始する事を承認。

*同時期に、AMAにいた同僚から、学問として家庭医療を追求する団体を設立する事を考慮するようアドバイスを受け、1967年の10月に45名がニューヨークに集まり、STFMを設立。命名はLynn Carmichael。

*家庭医療の理論形成と組織形成のこの過程で、多くの他職種(教育者、精神科医、ソーシャルワークなど)を巻き込んだ。彼の設立したレジデンシーの指導者はこれらの多職種で構成されていた。

*他職種が必要だという信念からSTFMは当時はほとんどの団体が医師のみの団体だったにもかかわらず、意図的に学生やレジデントの教育に関わった人間を全てメンバーとするようにした。

*当時、家庭医の育成のリーダーとなったのはほぼ全員が30代半ばから40代半ばだった。

*1968年からほぼ40年で合計90385名の家庭医がレジデンシーを修了した。

今これらの史実から我々が学べる事は何でしょうか。(あえて書きません)

もちろんこのarticleには彼の人柄が垣間見えるエピソードがいくつもちりばめられており、当時の医師像とは一線を画する飾らない、威張らない、聞き役に徹する、しかし信念は譲らない人である事が伝わってきます。

若いエネルギーは家庭医療学会にあります。しかし多職種でなければならない,という信念はプライマリケア学会に一日の長があります。
米国の家庭医療創設はアメリカ医師会(AMA)なしには起こりえませんでしたが、日本医師会は40年後に「日本の家庭医療の確立は日本医師会なしには不可能だった」といわれるか、「日本の家庭医療の確立は日本医師会の少なくとも2度の妨害行為にもかかわらず日本プライマリ・ケア連合学会と市民によって達成された」となるか。

今月号のFamily Medicine誌はもうひとつ興味深い投稿がありましたので追って。

2009/09/28

    家庭医がチームドクターとしてデフリンピックに参加

デフリンピック。聞き慣れないかもしれません。パラリンピックは聞いた事があるかもしれません。

ろうあの皆さんのオリンピックです。

デフリンピック
提供: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


今年は台北9月5−15日まで行われ日本はメダル20個と大健闘でした。

その影からのサポートとして、亀田家庭医後期専門研修を終えて家庭医となった田口智博医師がチームドクターとして選手団のサポートをしてきました。

現在地 ≫ トップページ ≫ 日本選手団 ≫ 日本選手団名簿 ≫ 日本選手団本部

ずっとライフワークとして手話を勉強しており、卒業発表も「聴覚障害者に優しいクリニック作り」でした。

チームドクターというと整形外科の医師,というイメージが強いかもしれません。もちろん整形外科の医師はチームをサポートする上で重要な役割を担います。しかしフィールドには手術室はなく、普段からの健康管理、サイドラインマネジメント、栄養面,心理面なども含めトータルにサポートするには家庭医がベストポジションにあります。

通常の診療と同様家庭医が中心となってトレーナー、リハビリ、スポーツ整形医と連携をとりながらというのがベストの形です。

実際にインフルエンザの発生もあったようで、家庭医であったからこそ適切な対応ができたと考えます。
日本選手団におけるインフルエンザの発生について
掲載日: 2009/09/11 カテゴリー



チームドクターのカバーするべき領域は以下にもあるように、筋骨格系にとどまらず家庭医のような幅広い領域の能力がベースに必要で,実際海外ではオリンピックチームのチームドクターでさえスポーツを得意にする家庭医の方が多数派を占めます。
日本でも自転車のオリンピックチームのチームドクターは家庭医がつとめました。

KFCT プライマリ・ケア スポーツ医学 フェローシッププログラム 概要と募集要項 KFCT-PCSM Fellowship Program

これから伸びてくる分野です。

2009/09/27

    Air TaggingとAugmented Reality、そしてセカイカメラ

どんどんSFで見た世界が現実になってくる、これほど、生きていてexcitingな時代はないと思います。
iphoneはいろいろな意味で革新的ですが、意外と目立たないが,個人的に非常に意味が大きいと考えているのが位置情報を写真につける(geotag)仕組みの構築。Web 2.0のひとつの特徴としてfolksonomy(利用者が勝手に分類タグをつける)が大きな役割を果たし,電子情報の整理方法が変わりましたが(というより整理をせずに検索をする,という情報利用の仕方に変わった)、その検索軸に「位置情報」が加わった事が画期的なのです。

twitterやblog、facebook、tumblrなどそれぞれが勝手に書き込みをしコミュニケーションをはかるソーシャルネットワーク技術がほぼ一般化していますが(古くは2ちゃんねるでしょうか)、その書き込み情報にgeotagをつけるのがair tagging。

Augmented Reality (AR)は仮想現実と訳されています。駅の大きな広告が話しかけてきたり、動画だったりという風景をSFなんかで見た事があるかも知れませんが,かなり実現に近くなっています。

まずセカイカメラについてのいくつかの動画やリンクを見るのがよいと思います。というか見てもらうしかない。



セカイカメラとは関係ないですが、魚の図鑑のARがわくわくします。

セカイカメラは、ある特定の位置情報がつけられた発言や情報をその位置に来たらAR(仮想現実)として見せる、という組み合わせ技です。

2009年09月24日 11時21分 更新
App Town ソーシャルネットワーキング:
「セカイカメラ」 App Storeで配信開始


動画で見せる、ここまで来たケータイAR
iPhone+セカイカメラで「電脳コイル」体験
2009年02月19日 12時00分更新


セカイカメラの世界観--Air Tagging The RealWorld
鳴海淳義(編集部)
2008/09/26 14:58


トブ iPhone 2009年9月24日
頓智・CEOに学ぶ「セカイカメラ」の秘密とコツ10


個人情報の未来(バーチュアル名刺) Augmented Reality - PRESIDENT's BLOG - Beat Communication(ビートコミュニケーション) AR名刺。

ややこしい事は抜きにして、見ているだけでわくわくする(未来がやってくる)感覚です。(書き込みが増えるとARの世界は大変そうですが)

ipod touchを持っているのでまだiphoneを買うつもりはないのですが、この2つの明確な差はGPS機能とカメラ機能です、その両者の特徴を最大限に発揮させる可能性のあるセカイカメラ。またiphoneへの誘惑が強くなりました。

しかしどんどんdigital divideは広くなっていく一方です.取り残される人々が心配。。

2009/09/26

    男もすなる「つわり」といふものを..(part2)

前回のエントリー 男もすなる「つわり」といふものを..
の補足。

以前どこかで読んだ、という男のつわりについての出典。

赤ちゃん誕生の科学
正高 信男
PHP研究所 ( 1997-01 )
ISBN: 9784569555133
おすすめ度:アマゾンおすすめ度


章立てそのものが結構面白い。
第1章 男の子と女の子の生み分けは可能か
第2章 つわりはなぜ,起こるのか
第3章 胎教はどこまで本当か
第4章 出生前診断を受けるか受けないか
第5章 どのようなお産を選択するのか


医学、生物化学的な部分の裏付けはあまりしっかりしていないが、現象としての意味や、社会学的な解釈を中心に書かれている印象。

その第2章で
様々な仮説の中で「コミュニケーションとしてのつわり」という下りがある。
そこで、男を試す試金石としての役割 というセクションがある。
以下抜粋+要約

妊婦自身が意識している訳ではないが、「吐き気」をもよおすことに、何らかの反応を見込んで、体がそのような現象を起こす、とするならば、それを効果的に利用する方が得策であろう。
男性は当人の意思次第で、子供の養育の負担をかぶる事もできるし,逃げる事も,妊娠だけさせておいて、姿をくらます事も可能である。
子供を育てるには膨大な時間と資源が必要であり、女性にとってはできるだけ早く父親にあたる男がどのような態度を取るか見極め,必要に応じて迅速な対応策をとる事が必要。
その心構え(どの程度子供のある過程を長期的に維持する事に責任を持つ気があるのか)を知るための最初の試金石として、つわりに対する反応を利用しているのではないか。


先述の日本のあちこちに残る男のつわりの例も挙げながら、最も代表的なものとして、南アメリカ先住民の例を挙げている
その中でいくつかの特徴として
*一般に夫が嘔吐するほど妻のつわりは軽くなると言われている
*広大な南アメリカ先住民の部族のうちのかなりの数に同様の例がみられる
*男のつわりがみられる文化に共通する特徴が存在し、それは,それらの文化がおおむね母系社会である

母系社会とは財産や権利なども含め母、娘の流れを中心として継承される。男性は通常入り婿のような形をとり,よりその地位は低い(亭主関白、男尊女卑の反対)。
要は、女性が様々な決定権を持つ社会で、男性がその利益に預かろうとするために、生まれてくる子供の養育に夫がどれだけ貢献するつもりがあるかの「証し」を見えやすく表現する事が求められているという背景からではないか。との仮説。


社会現象としての解釈なので、証明は難しいけれど、つわりのひどさとその後の離婚率の関係という形で研究にはできそうです。

2009/09/23

    男もすなる「つわり」といふものを..

「女も」の間違いではない。
男もつわりをするのである。だいぶ前に読んだ本で既に知っていたが(出典を失念。その時は南洋のとある民族の話として知った)、改めて確認。

立派にwikipediaにもまとめられています。(出典に柳田国男監修・(財)民俗学研究所編『民俗学辞典』なども使われています)

男のつわり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


より

男のつわり(おとこ-)とは、妻が妊娠すると夫の身体の調子が悪くなることをいう。福島県では「トモクセ」、岩手県沿岸地方では「男のクセヤミ」といい、ひどい人は妊婦と同じく汗をかいて衰弱し、嘔吐をもよおしたりもするが妻の出産が終わると治る。「病んで助けられるのはクセヤミばかり」という民俗語彙もある。岩手県岩手郡では「クセヤマイ」、長野県下伊那郡地方では「アクソノトモヤミ(悪疽の共病み)」、奈良県高市郡地方では「アイボノツワリ」と呼ぶところがある。未開社会では、妻が妊娠すると男が産褥(出産用の寝床)につく真似をする風習をともなう地域があり、couvade(擬産)と呼称される。
医学的には、男性が妊婦のマタニティ・ブルーと同じような症状、すなわち嗜好の変化、吐き気、めまい、頭痛、食欲不振、体重の変化、感情の変化、睡眠時間の変化などを総称してクーヴァード症候群(couvade syndrome)と呼ぶことがある。



Couvade syndromeもきちんとまとめられています。

男性のつわりはpsychosomaticに説明するしかないのですが、元々読んだ他の民族の例では、男性のつわりが強いほど女性のつわりは軽くて済む、また、男性のつわりが強いほど女性への愛情やケアの強さを示している、という風に理解されるようです。
その事を知っていて潜在意識で何かが働いていたせいかもしれませんが、自分自身の子供のときに男として軽いつわりを経験しています。

わかばまーくくらぶ 1000人以上のつわり体験談では、
夫、家族のつわり??体験談というページがあり、

すこし眉唾的なもの?もふくめて、結構面白い体験談が数多く寄せられています。

例)KLMさん  05/10/05
4回の妊娠のうち、2回目・3回目・4回目の妊娠は、主人が先に気がつきました。主人は私が初めて妊娠をしたときに、日常であまり体験することのない船酔いのような、おかしな感覚を味わったと言っていました。
そして2年後、またその感覚に襲われたので、私に「お前、妊娠したんじゃないか?」と冗談交じりで言いました。しかし、実際検査して見ると、なんと陽性!妊娠6週目になっていました。そして3回目、4回目の妊娠もそのようにして主人に教えられました。


babycom お産の民族学では
つわりが激しい夫を持つ妊婦はつわりを経験しないという話もある。これは、現代でもみられる現象で、気の弱い男性に多いといわれている。


という表現があり、自分は気が弱いのだ.と再確認。

“つわる”という言葉は、初潮の頃のこと、すなわち成熟する寸前の状態のことを意味する。また、木の芽が出て花のつぼみがふくらむことを“つわぶく”というところもあり、いずれも完熟一歩手前の状態を意味するところから“つわり”の語源はきているといわれている。



猿でもオスざるの体重が増えるという現象がある
【ファンキー通信】男だって、妊娠中はつわりになっちゃう!
2006年02月23日00時07分


生物医学的には説明できないと思いますが(もしかしたらそのうちできるようになるかもしれません)、mind-body connectionを前提に医療を行うのがgeneralism。医療文化人類学的には簡単に説明できてしまう事ですし、その立場からは更年期の症状も日本ではかなり他の文化と違った症状を示す事が知られています。(生物学的な理由だけで生じるのなら、それほど大きな人種差はみられないはずです。この話はまた日を改めて。)

言い古された事ですがが、言葉はあるものにその社会や文化についての意味付けを持たせるための「記号」であり、病名や症状もその例から漏れることはないのです。(その事を忘れてしまっているために、医療現場で多くの齟齬が生じています)

2009/09/22

    やっぱり3つのうち2つまで。




2007年10月12日 誠実なお店の看板 秋元@サイボウズラボ・プログラマー・ブログより。

バイク店にかかっていた正直な看板の写真だそうで。

「良いサービスを、安く、早く。3つのうちどの2つでもお選びいただけます」

良いサービスを安く、という場合は時間がかかります
良いサービスを早く、という場合はお代がかかります
とにかく安く早く、という場合はサービスの質を落とさせていただきます


医療政策を少しかじっているとピンと来るメッセージです。


2つまでしか選べない「コスト」「アクセス」「質」
週刊医学界新聞
第2469号 2002年1月14日
【特別寄稿】
理念なき医療『改革』を憂える
第1回 日本の医療費は過剰か?
李 啓充(マサチューセッツ総合病院・ハーバード大学助教授)


 
米国オレゴン州の低所得者用医療保険「オレゴン・ヘルス・プラン(註)」の管理部局には,「Cost, access, quality. Pick any two(コストとアクセスと医療の質。このうち,2つまでなら選んでもよい)」という言葉が額に入れて飾られているが,この言葉ほど医療保険政策のエッセンスを的確に言い当てた言葉はないだろう。
 「コストを抑制してアクセスも保証して質もよくする,3つとも同時に達成することなど夢物語だ」と,言っているのであるが,英国の場合はコストを抑制しすぎたがために,手術待ちが著しく長くなるなどアクセスが障害されたのである。このオレゴン・ヘルス・プランの「2つだけルール」を日本の医療に当てはめたらどうなるだろうか。


日本医師会 李医師 講演資料9ページ目 (pdf)


再度、最初に出したブログから

ソフトウェアの開発も同じことで、3つを同時にいくらでも満たすのは無理。できますと言うエンジニアがいたら詐欺師かダンピングのどっちかだろう。

機能とコストと納期は、x-y-zの三軸に張り付いたゴムの膜みたいなもので、一つをグーッと引っ張ろうとすると、他の二つがつられて短くなっていくものだ。

相手が顧客でも営業でも、それまで無かった新しい制約条件を追加されたときに、「それを実現すると、代わりにこれが犠牲になります」と言えなければ、プロジェクトを制御しているとは言えないと思う。

そういう意味で、この看板はただの冗談じゃなく、「誠実」と思った次第。


開き直る訳ではないけれど、限られた資源の中ではやはり3つともは無理だと思います。
そのときに、国は、国民に3つともは無理ですよ、という事実をきちんと示し、医療政策としてどの2つを優先するのか(どのひとつを、後回しにするのか)ということを決めていかなければ、何をやるにしても中途半端になってしまうような気がします。そして国が決めた2つの優先軸を基本方針としてきちっと提供するのを国立、県立、自治体立などの公的医療機関できちっとやっていく。そうすると民間はまた動きがとりやすい、うちは国が後回しにした○○を優先します。ということで、うまく住み分けもできる。

世の中のものやサービスで3つとも成立させたものどれだけあるでしょうか?

検索用キーワード:Good、Cheap、Fast

2009/09/21

    芸術と医療は両立するのか

芸術家の仕事は観客(聴衆)にできるだけ自由な解釈の余地を提供する事。

シンガーソングライターが歌を歌う時、その作り手の元となった体験や考えは特定のなにかに根ざしているのだが、発信された瞬間に1000人の聴衆がいたら1000人がそれぞれ自分の体験との交点で自分なりの解釈をして共感する。別のシンガーがそのひと独自の解釈でカバーされて、全く新たな作品になりでもしたらそれほど本望なことはない。歌に限らずどのような芸術家でも同じ。

モノ作りはある程度その形態と機能が使い道を規定してしまい、それはアフォーダンスという意味では最も成功した形なのだけれど、逆にそれ以外の使い道(解釈)を許さないという自由度のなさを意味する。(まれにiphoneのような電話機能以外は持ち主がそれぞれらしい使い方をアフォードする、という例もあるが)。

芸術家は、特に大衆性の高い芸術家は、非常に「私的な」な体験からスタートするにもかかわらず、その表現の形をできるだけ多くの人がそれぞれの「私的な体験」と結びつけられるような、最も解釈の多い形で発信するという意味で、「インスピレーション」を提供する仕事といえる。ある意味「誤解」や「齟齬」は歓迎されるものである。

再度まとめると、芸術家は

発信者の「私的体験」ー(1)ー>最も解釈の可能性の広い「普遍性」(自由度が高い)ー(2)ー>受信者の「私的体験」

の(1)のプロセスにその仕事のほとんど全ての努力を費やしている。そこがうまくいけばいくほど(2)は労力を必要としない。

一方医師の仕事は、医学という普遍性、しかも受け手が自由に解釈をする可能性を限りなく少なくしなければならない普遍性を取り扱うため、最も自由度の低い普遍性(受け手が交点を見つける事が困難な)と様々な感性を持つ受け手(患者)との交点を見つけ出し、紡ぎだす、という作業をする仕事である。つまり上記の(2)に労力の多くを費やしている。

ある個人が最も自由度の高い(解釈の多い)普遍性を生み出すためにその労力の多くを費やす芸術家の仕事と、最も自由度の高い(解釈の少ない)普遍性を、できるだけ多くの感性と結びつけることにその労力を費やす医師の仕事(ある先人はdiseaseとillnessの擦り合わせと呼んだが)の両立を目指して芸術的に医療を行おうとするとき、次のような共通点を見いだす。

芸術家は最も自分らしいやり方で自分を表現する(つまり、それぞれがそれぞれの感性でそれを解釈できるようにする)事で、聴衆はそれぞれが「自分はありのままでよいのだ」というメッセージを受け取る。つまり「自分らしくある事」をアフォードする。

医師はそれぞれの患者が最も自分らしく人生を送れるようにその妨げとなり得るもの(病気や障害)を除去したり、軽減できるよう手助けをする。その手助けのやり方にはそれぞれの医師の「自分らしいやり方」を持ち込む事ができる。(ただし相手にもそれなりの努力を要求する、という意味でアフォードする事からは残念ながらほど遠い)

芸術家も医師もその人がその人らしくある。という事や人生や生きている事のすばらしさを確認するための手助けをする仕事という大きな共通点を持っている。

芸術家の端くれが

佐野元春のザ・ソングライターズ


のような番組を見ていると、ついそんな事まで考えさせられてしまう。

また難しい事を難しく書いてしまった....