ようやく実施されるところまで来ました.来年度合併ですから,家庭医療学会としては最初で最後,ということにはなりますが.
20日の海の日です.
その模様がNHKで放映されるようです.
試験日と同じ7月20日月曜日午後9時のニュースウォッチ9」という番組で7-8分ほどとのことです.
報道番組は突発的なニュースによって内容が入れ替えになることがありますのであくまで予定,ということで.
受験される皆さんは頑張ってください.
これまできちんと研修をしていれば心配ないと思います.
第1回 日本家庭医療学会認定家庭医療専門医 認定審査のご案内
2009/07/18
第1回 日本家庭医療学会認定家庭医療専門医 認定審査
2009/07/07
学会発表に役立つ過去エントリーまとめ
多くの人の学会発表のサポートをする中でいつもお話しすることの多くは既に過去のエントリーに含まれているのでそちらを参照してもらうことが多いですが、今回、それらをまとめましたので再掲としておきます。よい研究をするためのアイデア、研究方法などは別の機会に。
抄録、タイトルの作成に関して
抄録の書き方,情報の価値 2008/02/27
http://tadao-okada.blogspot.com/2008/02/blog-post_27.html
効果的な学会抄録の書き方 2007/09/15
http://tadao-okada.blogspot.com/2007/09/blog-post_15.html
人の集まるタイトルを付ける方法(セミナーなど)2008/02/28
http://tadao-okada.blogspot.com/2008/02/blog-post_28.html
よい発表の基準の例
学会賞受賞演題スライド,読み原稿,審査基準 2008/06/16
http://tadao-okada.blogspot.com/2008/06/blog-post_16.html
誰を発表者に加えるべきか
Authorship(学会や雑誌での学術発表を前提とした研究、プロジェクト)2007/11/13
http://tadao-okada.blogspot.com/2007/11/authorship.html
そもそもなぜ発表をするのか
インパクトファクターと読者数(academic value vs fidelity) 2008/02/05
http://tadao-okada.blogspot.com/2008/02/academic-value-vs-fidelity.html
キーワード:学会 発表 抄録 タイトル authorship
2009/06/30
折り返し
6月も最終日です。
目標は常に確認するべきもので、たてたらおしまいではありません。
念頭に立てた目標の再掲
年頭所感(今更)より
1)上達,熟練,学習といったことについて再度 基本に立ち返る(基礎的文献の読み直し)
2)去年からの積み残しのプロジェクトを少しでも進める(執筆,プロジェクト)
3)今年はあいたいと思う人に会う
4)体力づくり
5)丁寧に,丁寧に
あまりSMARTgoalには当てはまっていないのですが。。
BLOGエントリーはこのエントリーを含めて半年で56。昨年は週2のペースで1年で104でしたから、最後にちょっと追い込んだところはありますが、昨年より多めです。(目標や中間到達目標を意識する利点です。6月に入ったら、明らかに6月修了までに52、というのは意識していました)
新型インフルエンザのせいで5月からしばらくばたばたしてしまいましたが、その間に途切れてしまった手帳とPCを平行してのGTD、最近再開しています。
意気込んで始めた5年日記、ゴールデンウィークあたりで途切れていますが、なんとか再開予定です。
PC上のライフハックとしては、Omni Focus+Evernote+journalerで、少し使い分けができてきたところ。せめてこのうちの2つぐらいに集約を。
論文管理はEndnoteのはずだったのですが、某氏の影響でPapersへ。順調。まだ一部evernoteとかにいってしまいますが。
そして、新たなチャレンジとしてwordpress, twitter, facebookにチャレンジ中。wordpressは使いこなすにはかなり時間投資が必要です。。。。(その分見返りはありそう)
下記の10個の基本技の中では、タイマーは新年に買ったはずだけれど、とかinbox zeroは無理でしょうとか。5Sは未だに実践できておらず、とかまだまだなところは多いです。
どこまで実践できている? ライフハックの 10 個の基本技
Sunday, 28 June 2009
新年の抱負がもう脱線した? そんな人はこのロードマップに移ろう
「大きな決心」よりも「毎日の習慣」をゆっくりと変えることで、むしろ少ない労力で大きな変化を作れるということを繰り返し指摘しています。
少しずつでもいいから昨日より今日、今日より明日、と自分の行動を変える。戻ってもまた思い出して、元の道に戻る。そのようなことの積み重ねでしか何も変わらないのだと思います。
人生で一番危険なことは、かなえられるはずのない夢が、かなえられてしまうことなんだよ。。。-ミヒャエル・エンデ「モモ」より
永遠にたどり着くことのない目標があるからこそ、人生は輝くのだ、ということを言い訳にして。
村上春樹 1Q84
村上春樹 同郷の人ということで親近感はあってもノルウェイの森以来、文体があわずにずっと敬遠しています。
今話題の1Q84、もちろんまだ読んでいないのですが、読売新聞でインタービューがあり、非常に興味深い込めとんとがあり、最近の私の考えと響き合うところがありましたので、引用します。
読売新聞2009年6月16日 インタビュー (上)
より
原理主義の問題にもかかわる。世界中がカオス化する中で、シンプルな原理主義は確実に力を増している。こんな複雑な状況にあって、自分の頭で物を考えるのはエネルギーが要るから、たいていの人は出来合いの即席言語を借りて自分で考えた気になり、単純化されたぶん、どうしても原理主義に結びつきやすくなる。スナック菓子同様、すぐエネルギーになるが体に良いとはいえない。自力で精神性を高める作業が難しい時代だ。
中略
ーーーー受賞スピーチ「壁と卵」で「個人の魂の尊厳を浮かび上がらせ、そこに光を当てるため」小説を書くと発言された。
作家の役割とは、原理主義やある種の神話性に対抗する物語を立ち上げていくことだと考えている。「物語」は残る。それがよい物語であり、しかる心の中に落ち着けば。例えば「壁と卵」の話をいくら感動的と言われても、そういう生のメッセージはいずれ消費され力は低下するだろう。しかし物語というのは丸ごと人の心に入る。即効性はないが時間に耐え、時と共に育つ可能性さえある、インターネットで「意見」があふれ返っている時代だからこそ、「物語」はよけいに力を持たなくてはならない。
テーゼやメッセージが表現しづらい魂の部分をわかりやすく言語化してすぐに心に入り込むものならば、小説家は表現しづらいものの、外周を言葉でしっかり固めて作品を作り、丸ごとを読む人に引き渡す。そんな違いがあるだろう。読んでいるうちに読者が、作品の中に小説家が言葉でくるんでいる真実を発見してくれれば、こんなにうれしいことはない。大事なのは売れる数じゃない。届き方だと思う。
引用ここまで
どうやら1Q84は、これからの時代ますます「物語」が必要になる。その主翼を担うのが作家だという主張に基づいた、「記憶に残る物語」を強く意識した作品のようですが、この「物語」とはナラティヴ(narrative)、もしくはストーリーのことです。そしてその重要性は家庭医療の世界ではずっと前から言われてますが、それ以外の分野でずいぶんと言われるようになってきています。
最近読んだ、
「健康によい」とはどういうことか―ナラエビ医学講座
で、再度evidenceとnarrativeの統合をどのようにとらえるかについて考える機会を持つことができました。2−3時間で読めますが、非常に頭をすっきりとさせてくれるものでした。
著者はナラティヴ3年エビ8年かかると言っています。僕はエビよりもナラティヴにずっと時間がかかっています。
著者の立場はNBMとEBMは補完、並立するものではなく、ナラティヴがEBMを包含するという考えです。これで行くと非常にうまく行く気がします。
そしてナラティヴは家庭医療の基本です。そのことは最近読んだMcWhinneyに非常にパワフルなナラティヴによって記されていました。
mapとterritoryの話。また追って紹介できることと思います。
2009/06/29
亀田メディカルセンター 初期研修医 応募締め切り間近!(7/10)
母体である亀田メディカルセンターの初期研修医の募集締め切りが7/10に迫っています。
全国的な初期研修制度の弾力化に伴い、院内では複数回の大規模な内部ヒアリングを行った上で、あえて柔軟性を少しだけ落として、「全ての診療医に必要な基本的臨床技能」の保証を再度徹底する方針となりました。
亀田メディカルセンターの初期研修「骨太の医師養成」
とは言うものの、志望科をふまえてそれぞれで受験、採用という方針は変わりません。家庭医志望は非常に倍率が高く、私の力不足もあって、なかなか採用に至らないという非常に申し訳ない最近の実績ですが、いまのところの応募状況では、今年はずいぶんと倍率が低そうです。
我こそは、という方はぜひ登録を!
亀田メディカルセンター 研修医募集サイト
家庭医の後期研修の公募は8月頃の予定です。今年も大きな改善をふまえて皆様にお届けします。乞うご期待
医師としてストレスがたまったときの12のルール / Rules for Physician Survival (M. Stuart, 1993)
医師としてストレスがたまったときの12のルール / Rules for Physician Survival (M. Stuart, 1993)
以前まとめたものを見直した改訂版。
Marian R Stuart, et al. The Fifteen Minute Hour, Applied Psychotherapy for the Primary Care Physician, second ed. 1993より。
プライマリケア医向けの外来簡易精神療法の本.1回分が15分というプライマリケア医の診療の構造にあわせてできることを目指している。患者に適応できるものは医師にもできる、ということで、患者さんの問題を抱 え過ぎて自分が参ってしまわないために最後にRules for Physician Survivalとして12のルールがまとめてある. 「15分間の問診技法:日常診療に活かすサイコセラピ ー」として医学書院から日本語訳が出ています.プライ マリ・ケア医のための外来簡易精神療法について書かれ た本としてはバイブル的存在.BATHE法の出典です .現在英文は第4版です。
医師としてストレスがたまったときの12のルール / Rules for Physician Survival (M. Stuart, 1993)
日頃ストレスがたまったら見直すとよい。
やはり認知療法の原点は同じですので、同様のルールが様々な人によってまとめられています。個人的に留学時代に薫陶を受けたPaul Friday先生のはFriday's Laws(フライデーの法則)として8つにまとめられています。
1. Life is difficult.
2. Perception is reality.
3. Change is the toughest thing a human being can do.
4. You can never change another human being can do.
5. I am responsible for everything I do and say. I am not responsible for your response.
6. The future and the past are seldom as good, or as bad, as we anticipate or remember.
7. Nobody has a squeaky-clean psyche.
8. The only thing that lasts forever is .... now.
Radcliffe Medical PR ( 2008-11 )
ISBN: 9781846192883
Bradley Oak Publications ( 1999-04-03 )
ISBN: 9780966993806
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時刻:
5:58
ラベル:
BATHE法,
psychotherapy,
認知療法
2009/06/25
ジェネラリストになろうとする際に感じる不安の元となるジェネラリストとスペシャリストの役割に関する6つの誤解 (McWhinneyより)
引き続きMcWhinneyを再訪しています。
我々が考えつくことというのは通常既に先人が考えついていて、答えが示されていたり、既に形になっていたりするものです。
表題通りですが、ジェネラリスト自身も、それになろうかと考える人たちも頻繁に出くわす批判や質問ではないでしょうか。あくまで見出しは「誤解」ですので間違えることのないよう。
pp23-27
1. ジェネラリストは医学の全ての領域をカバーしなければならない。
2. 医学のどの領域を取り出してみても、常に、その領域のスペシャリストはジェネラリストよりも知っている。
3. 専門分野に進むことで不確実性というものは除去できる。
4. 専門分化することにおいてのみ、深い知識(depth of knowledge)を得ることができる。
5. 科学の進歩によって情報量は増加する。
6. 医学における過ち、誤りは通常情報不足から起きる
だからスペシャリストになる方がよい、ジェネラリストになるのは不安というのは誤解に基づいた決断であるということです。(真っ当な理由でスペシャリストになるのは全然よいと思います)
McWhinneyとFreemanの主張を見てみましょう。(以下、岡田による意訳と翻案)
1. ジェネラリストは医学の全ての領域をカバーしなければならない。
ジェネラリストの知識はスペシャリストと同様に選択的(selective)である。スペシャリスト同様、ジェネラリストは自分の役割を全うするために必要な知識を取捨選択している。
(例:くも膜下出血において、ジェネラリストに必要な知識は、初発症状、早い診断と紹介に必要な手がかりについて。脳外科医は詳細な病理、診断と外科的治療の知識。当然、疾患によってはマネジメントまでジェネラリストが知っていなければならない場合もある)
2. 医学のどの領域を取り出してみても、常に、その領域のスペシャリストはジェネラリストよりも知っている。(どの分野でもジェネラリストはスペシャリストに知識量では勝てない)
これはジェネラリストの「どの領域をとってみても「これは自分たちの専門領域だ」と呼べるところがない」という感情の代弁であろう。しかしながらこれは真実ではない。我々は頻繁に遭遇する問題については非常に物知りになる。一方スペシャリストは疾患の非典型的な例について物知りになる。(非典型的なために診断がつかずジェネラリストから紹介されてくるから。大学病院や子供病院の小児科の研修医が一度も水痘の子供を診たことがない、というのと同様。予防接種の普及不足という問題は別にして。)時にジェネラリストは日常高頻度問題(common problem)の典型的な事例について、たとえ自分が答えは何か、どうすべきかわかっていても、家族のプレッシャーや不安などで、スペシャリストに紹介することがある。その時に意外とスペシャリストは疾患の典型的な例についてあまり取り扱ったことがないので意外とどうしたらいいかの知識がないことに初めて気付くことがある(フリーアクセスの日本では多少事情が違うかも知れませんが、それでも、同様の経験は多数あります。岡田注)
それらの現象は補完的である。なぜなら、ジェネラリストが紹介例を取捨選択するからこそスペシャリストのそのような知識集積体系になるからである。
3. 専門分野に進むことで不確実性というものは除去できる。(ジェネラルでやると、自分で解決できない場合も多くストレスがたまる。専門を持てば「わからない」「予測できない」ということはなくなるのでは)
北米家庭医療創世期の巨人の一人Gayle Stephensによると、「不確実性を取り除く唯一の方法は、その問題をもっとも単純な要素に落とし込み、その周辺領域との関係を絶つことである」と述べている。そして、このような仕事の仕方をする臨床分野があるとするとそういう領域はあっという間に価値を失い消滅する。
4. 専門分化することにおいてのみ、深い知識(depth of knowledge)を得ることができる。
depthとdetailを混同しないことが重要。深い知識(depth of knowledge)というのは、意識の質によって規定されるのであり、情報の中身ではない。
ここで例として、戦争において、目的とその戦術において議論すべき状況で、手に入る有刺鉄線とガソリンの量について議論していた上官の例を挙げています。depthとdetailを混同し本当の問題を見失っていたと。
5. 科学の進歩によって情報量は増加する。(であるから、1とも関連するが、ジェネラリストとしてやるのはどんどん不可能になる。)
1と同様、ジェネラリストをやるならすべて知っていなければならないという呪縛に縛られています(岡田注)。
逆であるとMcWhinneyは述べています。「もっとも未分化な科学の領域ほどもっとも情報量が多い」非常にうんちくの多い言葉です。今の新型インフルエンザの例を考えてみましょう。わからないことや真理がまだ無いからこそ、多くの調査報告が出てくるんですね。
Sir Peter Medawarを引いて、「サイエンスにおける具体的な知識量の負荷はその領域の成熟度と逆比例する。サイエンスが進むにつれ、個々の小さな事実はその大領域の中で理解され、ある意味、一般化しつつある根本理論の中に取り込まてしまう。つまり、意識的に明文化され、意識されなければならないものではもはやないとして。」(成熟している領域ほど、その上位にあるメタ理論的なものの応用で対応可能だったり説明可能だったりしてとりこまれてしまうから。ということです)
続けて、McWhinneyはinformationとknowledgeを混同してはならないといいます。informationは確かに指数関数的に増える一方だが、それらの多くはほとんど価値が無く、寿命が短く、スペシャリストに対してのみの技術的な興味のみであり、そしてその多くは、医学の本質的なknowledgeに組み込まれるか、最終的に否決されることになる仮説を検証するためだけのものなのである。と
6. 医学における過ち、誤りは通常情報不足から起きる
情報不足から起きる医療事故はあまり無く、多くは、不注意、思慮不足、無関心、傾聴しないこと、運用上の非効率、コミュニケーション不足等が原因で、その他の多くは、知識不足というよりは医師の態度や技術的な問題から起きる。もちろん一般の人は医師がいっぱい知っている方が良いに決まっているが、それが医療の質の高さを保証するわけではない。また、医師は情報をどのように得て、利用するかについても習熟していなければならない。
(中略)
最後に、付け加えておきたい2点として、
1.家庭医がジェネラリストだからといって、すべての家庭医が全く同じ知識と技術を持っているということを意味しない。すべての家庭医は患者さんに対して同様のcommitmentを持っているが、興味や研修内容によって、知識や技術は重ならない場合も多い。このことがグループ診療において、その診療所の豊かさの源となる。特に僻地と都市部でその違いははっきりするが、それは、自分たちの診療する地域の資源と患者のニーズによって適応を遂げた結果であり、どちらもその地域の患者と地域のニーズに合わせて、(結果として)包括的に対応している家庭医なのだ。
重要なことは、決して細分化に至ってはいけないということである。家庭医は多少分化しても良いが、細分化してはならない。その時点でジェネラリストの役割は失われてしまう。(言葉遊びかもしれませんが、differentiationはよいが、fragmentationはだめと。)
Family Physicians may be differentiated, but family medicine should not fragment. If it were to do,the role of generalist would be lost.
2.家庭医は臨床領域の境界を越えて活動するだけでなくさらに困難な境界も越える。それは医療と社会的問題の境界である。この境界は明瞭であることはほとんど無いために難しい。患者の問題はその上に馬乗りになっている。であるから家庭医は臨床医療とカウンセリングを行う専門家の境界面をうまく取り扱う責務を負う。
とされています。
これ数回に分けるべきだったかも知れませんが非常に深いので一気にやってしまいました。
中略の部分には
ニーチェが呼ぶところの逆障害者(inverted cripples):臓器を失ったからではなく、特定の臓器を過剰意識してしまったために障害が出てきた人の話や、常に教育そのものが特定の分野で秀でることと関連づけられ、バランスは無視されたためにいわゆる人類の知恵(wisdom)が喪失されているのでは、ということ、同様に卓越(excellence)が何の分野にせよ、ある特定のことに関しての能力の限界までの引き上げのことを意味したため、そのために失われることが無視されてきたことなどが語られています。
そして「ジェネラリストになろうと決断した際に」に続けて、
「家庭医はバランスと全体性を優先するためにある特定の分野だけを伸ばすということを棄権した」と書いています。家庭医はその決断をしたことによって、支払うべき犠牲はもちろんある。その存在そのものがバランスをなさない社会からの認識不足。全体の卓越のために特定の才能を犠牲にすること。
しかし、個人的な見返りは甚大である。
「only men who are themselves whole, can understand the needs and desires of other men.」(自分自身が全体である人間だけが、他の人間のニーズや欲求を理解することが出来る)
それ自身がすばらしい文章のためコメントは控えます。
2009/06/24
Family Medicine Journal Volume 41 Issue 6 2009 June
久しぶりにjounal watch.表題の号から。(本来は毎月やりたい雑誌が3冊ぐらいあるのですが。。)
メインのリンクとタイトルだけ出してコメントをしておきます。著者や詳細は各自でどうぞ。
http://www.stfm.org/fmhub/toc.cfm?xmlFileName=fm2009/fammedvol41issue6.xml
Drug Promotion in a Family Medicine Training Center: 21 Years Later
21年間で製薬会社の名前の入ったペンやその他の販促グッズがどのぐらい減ったかの小さな報告。
これも取り組まなくてはいけません。
Advanced Procedural Training in Family Medicine: A Group Consensus Statement
昨日のエントリー参照
Family Medicine Residency Characteristics Associated With Practice in a Health Professions Shortage Area
Community Health Centerでトレーニングを受けたレジデントは研修修了後医師不足地域で仕事をする可能性が4倍ぐらいという話。こういう関連については多くの報告が。
Practice Management Residency Curricula: A Systematic Literature Review
診療所運営をどう教えるかについて、またその効果についての論文は33しかない。質や中身もバラバラ。論文のニッチのエリア。
Medical School Curricula: Do Curricular Approaches Affect Competence in Medicine?
医学部の話。臓器別カリキュラムか、分野別(生理、薬理など)カリキュラム、PBLかでUSMLEのスコアに差が出るか。という話。差はなし。
Factors Associated With a Physician's Recommendation for Colorectal Cancer Screening in a Diverse Population
大腸癌検診をやりましょうと進められるのはざくっと5-7割の患者。女性医師の方がより推奨する (56% vs67%)など。
Effects of Implementation of a Team Model on Physician and Staff Perceptions of a Clinic's Organizational and Learning Environments
チームで診療すると職場が良くなるという話。
Essays and Commentaries
Translation of Clinical Research Into Practice: Defining the Clinician Scientist
今以上に地域で診療する医師で研究をする人が必要、という話。
とにかくアイデアはそこら中に転がっているがimplementationからmeasurementそしてpublicationさらにdisseminationまで持って行くのは至難の業。
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