芸術家の仕事は観客(聴衆)にできるだけ自由な解釈の余地を提供する事。
シンガーソングライターが歌を歌う時、その作り手の元となった体験や考えは特定のなにかに根ざしているのだが、発信された瞬間に1000人の聴衆がいたら1000人がそれぞれ自分の体験との交点で自分なりの解釈をして共感する。別のシンガーがそのひと独自の解釈でカバーされて、全く新たな作品になりでもしたらそれほど本望なことはない。歌に限らずどのような芸術家でも同じ。
モノ作りはある程度その形態と機能が使い道を規定してしまい、それはアフォーダンスという意味では最も成功した形なのだけれど、逆にそれ以外の使い道(解釈)を許さないという自由度のなさを意味する。(まれにiphoneのような電話機能以外は持ち主がそれぞれらしい使い方をアフォードする、という例もあるが)。
芸術家は、特に大衆性の高い芸術家は、非常に「私的な」な体験からスタートするにもかかわらず、その表現の形をできるだけ多くの人がそれぞれの「私的な体験」と結びつけられるような、最も解釈の多い形で発信するという意味で、「インスピレーション」を提供する仕事といえる。ある意味「誤解」や「齟齬」は歓迎されるものである。
再度まとめると、芸術家は
発信者の「私的体験」ー(1)ー>最も解釈の可能性の広い「普遍性」(自由度が高い)ー(2)ー>受信者の「私的体験」
の(1)のプロセスにその仕事のほとんど全ての努力を費やしている。そこがうまくいけばいくほど(2)は労力を必要としない。
一方医師の仕事は、医学という普遍性、しかも受け手が自由に解釈をする可能性を限りなく少なくしなければならない普遍性を取り扱うため、最も自由度の低い普遍性(受け手が交点を見つける事が困難な)と様々な感性を持つ受け手(患者)との交点を見つけ出し、紡ぎだす、という作業をする仕事である。つまり上記の(2)に労力の多くを費やしている。
ある個人が最も自由度の高い(解釈の多い)普遍性を生み出すためにその労力の多くを費やす芸術家の仕事と、最も自由度の高い(解釈の少ない)普遍性を、できるだけ多くの感性と結びつけることにその労力を費やす医師の仕事(ある先人はdiseaseとillnessの擦り合わせと呼んだが)の両立を目指して芸術的に医療を行おうとするとき、次のような共通点を見いだす。
芸術家は最も自分らしいやり方で自分を表現する(つまり、それぞれがそれぞれの感性でそれを解釈できるようにする)事で、聴衆はそれぞれが「自分はありのままでよいのだ」というメッセージを受け取る。つまり「自分らしくある事」をアフォードする。
医師はそれぞれの患者が最も自分らしく人生を送れるようにその妨げとなり得るもの(病気や障害)を除去したり、軽減できるよう手助けをする。その手助けのやり方にはそれぞれの医師の「自分らしいやり方」を持ち込む事ができる。(ただし相手にもそれなりの努力を要求する、という意味でアフォードする事からは残念ながらほど遠い)
芸術家も医師もその人がその人らしくある。という事や人生や生きている事のすばらしさを確認するための手助けをする仕事という大きな共通点を持っている。
芸術家の端くれが
佐野元春のザ・ソングライターズ
のような番組を見ていると、ついそんな事まで考えさせられてしまう。
また難しい事を難しく書いてしまった....
2009/09/21
芸術と医療は両立するのか
2009/09/19
館山について2題(やわたんまち、鳩山荘)
今日、明日は館山(南房総)で最も大きな祭礼「やわたんまち」(この辺りでは祭りの事を「まっち」または「まち」といいます。関東三大八幡神社である館山の八幡(やはた)神社でおこなわれるので、やわたんまち。無形文化財指定)なので、午後の外来は閑古鳥です。(たまになら、閑古鳥もok)海のそばの土地なので、祭りは漁師気質の荒いものが多いですが、やわたんまちでも最大の見所では八幡神社の長い長い参道を各町の山車を全速力で引っ張って、その突き当たりにある本堂のぎりぎりのところで止める、という「チキンレース」を5回(各町の分)やります。明日の午後です。
今年は大型連休と重なっていますので人手がすごい事になるのではと思います。
やわたんまち
http://yawata.bakufu.org/
ビデオはたくさんyoutubeでみられます
やわたんまちのビデオ
そして急遽話題になった鳩山首相。ゆかりの土地が館山にあります。(個人的に宿泊した事もあります)
館山の別荘跡 旅館「鳩山荘」 一躍脚光
鳩山総理きょう誕生「友愛プラン」も打ち出す
9月15日 房日新聞
人々が愛着を持つ土地は間違いなく「個性」があります。その個性は歴史が伴う事が多いです(そうでない場合もありますが)。
そして、館山は間違いなく「個性」を持った土地です。
関連エントリー
2009/04/26 出没!アド街ック天国:房総 館山
2009/09/16
たまごクラブ10月号 掲載(取材を受けました)
働かせて頂いている亀田ファミリークリニック館山が先日 妊娠から出産までを応援する雑誌、「たまごクラブ」から取材を受けました。
毎月特定の地域に限定してその地域の妊婦さんを応援するスポットや情報(医療機関だけでなく、安産の神社や、妊婦限定プランの用意されたお店やテーマパーク、ホテルなども含めて)を紹介する連載
地域限定 たまご通信
において、10月号が千葉房総特集、という事でその中で、「注目ホスピタル」として妊婦健診もできて小児も診る事のできる医師(もちろんそれ以外も)である、母子サポーターとしての家庭医のいる医療機関として紹介されました。
もちろんどの領域においても理解ありしかも実力のある各分野の専門医の強力なバックアップがあって成り立つ我々幅広く診る専門医ですが、助産師が産婦人科医のバックアップを得て助産師外来が成立するように、我々家庭医と産婦人科医とでも十分に成立します。海外においてはそのようなモデルが実際に長年にわたって運用されています。
そして南房総館山では、母体の三次医療機関の産婦人科の全面的バックアップはもとより、市内の開業の産婦人科の先生方からも多大なるご理解と支援を頂いています。
妊婦健診と小児の診療の両方できる医師(家庭医)にかかる事の多くのメリットの中からひとつだけ挙げるとするとその簡便性と継続性です。
かなり前から「プレネイタルビジット」と呼ばれる受診が推奨されています。これは、予定日が近くなったら赤ちゃんを診てもらう予定の子供を診る医師の所にいって、ある程度の不安と手間を解消しておきましょう、という事です。
解消になる理由は
特に初めての子供の場合は生まれてばたばたする時期に小児を診る医師がどこにいるか探して、予約を必要に応じて取って、どんな医者かな、という想像と「怖い先生だったらどうしよう」という心配をして、妊娠と出産の経緯をはじめから話して(新生児を診る医師にとっては妊娠と出産の経緯を詳しく聞く事は重要な情報です。ですが、どれほどの産婦人科医から新生児の主治医に妊娠と出産の経緯の紹介状が書かれているでしょうか)それから、いろいろな不安や心配事をようやく話ができる
ということを、出産後慌ててやるよりも、出産前にやってしまえば少し慌てずに済むでしょう、ということです。これはその通りですが、
妊婦健診をしてくれた医師がそのままずっと子供も(もちろん産後のお母さんも)一緒に診てもらえるとしたら
上記で挙げた障壁は、
赤ちゃんを診てもらう医師を探さなくてよい(妊婦健診をしてくれた医師がそのまま診てくれる)
その医院の場所を探さなくてよい(妊婦健診をしたところで診てもらえる)
もう十数回妊婦健診にかかっている医師なので「どんな先生だろう」と心配しなくてよい
妊娠と出産の経緯を詳しく話す必要もない(その医師が診たのだし、そこにカルテもある)
産褥の健診と1ヶ月健診を別々の場所へ行く手間もない
ということによって、
産後の最初からよそよそしい挨拶や、詳しい問診を省略して「おかえりなさい、どうでしたか」から始められるという利点があります。
医師にとっても初めての赤ちゃんとお母さんに会うのは少し緊張し、ストレスもかかりますし、先に書いたように、お母さんの質問や不安に答える前にたくさんの情報を聞き出す必要があるのですが、妊婦健診から診せてもらっている事で、我々にとっても、多くの手間を省略して、すぐにお母さんのサポートに取りかかる事ができるという利点があります。
そもそも、わざわざプレネイタルビジットが必要と知らなくても、知ってたとしてもわざわざそのために努力する必要もなく、
妊婦健診に通う事そのものがプレネイタルビジットとして成立している
ということなのです。
15日発売なので、まだ本文は載せられませんが、表紙をのせておきます。月刊誌なのですぐになくなります。みんな本屋へ急げ!
これまでの妊婦健診の実績はこちらから
9/18/09追記
以下のようなPOP広告を近隣の本屋さんのたまごクラブが並んでいるところに置かせて頂きました。
うちのスタッフが作ってくれました。感謝!
POP広告
10/22/09追記
実際の原稿のスキャンです。
公開時期と方法については出版社の許可を得ています。
たまごクラブ10月号(2009)鉄蕉会 亀田ファミリークリニック館山 掲載(取材を受けました)
2009/09/15
2009年 プライマリ・ケア関連学術集会連合学術会議 京都. 2009年8月21日-23日(今年も学会賞頂きました)
怒濤の8月が終わりその残務処理をしていたらあっという間に9月も半分。
残務処理は何も生まないようですが、fidelityを上げるために必要な作業です。
「僕の前に道はない。僕の後に道はできる。」
いい加減に歩いたら消えてしまうかもしれない足跡をしっかり付けて、できた道を明確にする作業です。
共同発表者全員の了承が得られたものだけWEBにアップしてあります(後半にリンクを張ってあります)。今回、
2009年 プライマリ・ケア関連学術集会連合学術会議 京都
で行った発表、WSは4件。
そのすべてが僕の力だけではなし得なかった事です。主役は共同発表者の人たちです。僕はアイデアとアドバイスをできる限り提供して、よりよいものに、その人のポテンシャルが最大限に引き出せるようにする仕事です。
*若林 秀隆 、喜瀬 守人, 岡田唯男. 学会賞候補演題(口演)「FMCD-1 家庭医はリハビリテーションにおいてどのような臨床能力を必要と考えているか」 (学会賞受賞)
http://www.scribd.com/doc/19730168/2009-
*本山哲也、清水幸子、鈴木真、岡田唯男. 学会賞候補演題(口演)「FMCD-3 家庭医による妊婦ケア – 日本の家庭医はどこまでできるのか? - 」
http://www.scribd.com/doc/19730171/FMCD3-2009-
*大石愛、関根龍一、岡田唯男、林章敏、長美鈴、岡崎正典、櫻井宏樹. ポスター 「PS05-2 家庭医が遺族ケアとしての外来継続を行った一例~家庭医が提供できるグリーフケアの可能性について」
*伊藤彰洋、岡田唯男. ポスター 「PS23-2 後期専門研修プログラムにおいて侵襲的手技を行うにあたり、指導医による直接観察による評価と指導の機会を増やし、患者への安全性を向上させるシステム作りの試み」
http://www.scribd.com/doc/19730172/-2009PC-
*WS: ジェネラリストのための総合的な学習の時間~前立腺がんのPSAスクリーニングを題材に~ (委託ワークショップ. 伊藤彰洋 小宮山学 池尻好聰 栗原大輔 寺内勇 平洋 家研也 竹内治氏と)
幸い、昨年の、
日本家庭医療学会 学会賞 受賞!
に続き、今年も学会賞を頂く事ができました。
研究はチームの成果なのに、賞状は主発表者の名前しかないのは納得いきませんが。
ついでに、自分の経歴もupdate.
学術活動
http://mywiki.jp/familydoc/Multifaceted+Tadao+Okada/%8Aw%8Fp%8A%88%93%AE/
論文・執筆活動
http://mywiki.jp/familydoc/Multifaceted+Tadao+Okada/%98_%95%B6%81A%8E%B7%95M%8A%88%93%AE/
学会そのものは合同学会としてはこれが最後で、来年からは日本プライマリ・ケア連合学会として合併をして、その学術集会として再始動、我々の業界では歴史的な出来事が続いています。
出来事の価値やその意味付けは後になってみるまでわかりません。ただいえるのは「勝者が記したものが歴史」ということ。これまでは。
これからもしばらくは混乱が続きますが、地面が固まるための雨と前向きにとらえましょう。
学会賞候補演題(口演)「家庭医はリハビリテーションにおいてどのような臨床能力を必要と考えているか:質的研究」2009年 プライマリ・ケア関連学術集会連合学術会議 京都. (学会賞受賞)
学会賞候補演題(口演)「FMCD-3 家庭医による妊婦ケア – 日本の家庭医はどこまでできるのか? - 」2009年 プライマリ・ケア関連学術集会連合学術会議 京都.
ポスター 「PS23-2 後期専門研修プログラムにおいて侵襲的手技を行うにあたり、指導医による直接観察による評価と指導の機会を増やし、患者への安全性を向上させるシステム作りの試み」2009年 プライマリ・ケア関連...
2009/09/11
家庭医ポリデント論
木曜日の夜は家庭医療学の理論的基盤についてのカンファ。昨夜は先週から引き続き在宅医療、とくに導入時面接を切り口に。発表者は「安心」をキーワードに。場所が変わる.医療従事者が変わる。環境が変わる。安心とはその継ぎ目で継続性をいかに担保するかのこと。いかに家に帰る患者さんとその家族に安心してもらえるか、そのためには自分たち医療者が安心して病院の医師から引き継ぎをするかが重要、といった話に。
以前から家庭医は通訳/翻訳の仕事(違う言語の間を取り持つ)、もしくはコンピュータでいうOS(コンピュータの2進法の言語と、人間の言語を取り持つ)という主張をしてきました。
違うもの同士の接触面(interface)を扱う仕事。
難しい医学という学問と患者さんの生活というinterfaceを扱う仕事。
「そのもの」「そのこと」自身というより、それらを取り巻くモノ、コト、との関係性を取り扱う。
どこまでいっても関係性(relationship)をうまく取り持って整合させる仕事。relationship based medicineという言葉が思い出させる。
少し前に誰かとの会話で思いついたアイデア。
面と面との間(interface)を取り持って、うまく合わせる、という意味では家庭医はポリデント。
うまくやらないと間に物が挟まって痛いんです。
追記)通訳、OS、ポリデント一応僕が言い出しっぺという事にしてください。
追記2)ポリデントとは総入れ歯と歯茎の隙間を組まなく埋めて、噛みやすくしたり、その隙間に食べ物が入り込んだりしないようにする、ゲル状の接着剤のようなもの。
2009/09/07
東京Jazzに行って学んだこと(Jazzと家庭医療の意外な共通点)
東京Jazzに行って学んだこと
東京Jazzという3日間のイベントに行ってきました(日曜の夜だけ)
http://www.tokyo-jazz.com/
情操教育の一環として子どもも連れて行ったのですが,19時開演で4バンドが出演予定.1つめが終わったところで50分+15分休憩...全部終わったら何時?
結局最後のバンドの途中で退出,勿論館山まで戻ったら深夜1時前.
子ども達よ済まん!明日(今日)学校・幼稚園なのに!
どうかjazzのこと嫌いにならないで.
Jazz playerとして,家庭医として色々と思うところがありましたので少し.
Jazzについて
1.現在のjazzは複雑になりすぎている.
芸術の一つである以上originalityを追求することが必要で,特にJazzはこれまでの流れに自分らしさを乗っけて新しい「何か」を生み出すことを要求されるので,ともすれば,「良い物を作るための破壊」ではなく「破壊のための破壊」になってしまっていることがある.
間違いなく自分ではマネなどできっこないレベルだがそれだけ.面白くない.
かなり自慰的なartistもいたように思います.すごいことは分かるが,理解できなくなったら一部の人だけの物になってしまう.
一方で3つめのLou Donaldsonのバンドはすごかった.昔のまま(60年代)の昔のヒットソングで,昔の通りやるんだけれど,観客の反応が最も良かった.観客が一番正直.the less is the more. the simple is the best.
jazzは小さなライブハウスで息づかいの分かるところで聞くのがベストなので,今回のような何千人も入るところではやっぱりダメだな,artistがあんなに遠いもん.そのせいで自分は面白くないんだ,と思っていたら,Lou Donaldsonは観客がみんな入り込んで,感情移入して.ホール全体が一体化.
Duke Ellingtonの言葉が思い出される.「世の中には2種類の音楽しかない.良い音楽と悪い音楽だけだ」
大衆に受けなくなればその芸術はそのまま廃れてしまう.
2.エンターテイメント(娯楽)と芸術
そんなことを考えながらコンサートを聴いていたら,死後まで価値の認められなかった画家ゴッホのことやら,理解されにくいピカソやダリのことを思い浮かべていた.
パリはもちろんのこと,東京の露店でも写実的なもしくは印象派ぽい油絵はそれなりに手軽に手に入る(勿論無名のartistだけれど).基本的な技術が有れば恐らく描ける類の絵.それは芸術と呼べるのか.そこに費やした制作時間(基本的な作業時間とキャンバス,絵の具代)以上の価値はあるのか.一方で現代美術館にあるようなコンテンポラリーアート(恐らくフリージャズや,現代の多くのjazz musicianはこれに相当する)は一見理解できない物も多く,お金を出す気も起きないか,ひょんな事でお偉い批評家に取り上げられて,とてつもない値が付くかのどちらか.
芸術家であること(originalityを追求すること)とエンターテイナーであること(大衆に広く受け入れられること)は両立するのか.
1つめのバンドは芸術的なレベル,技術レベルはとてつもなく高かったが,聴衆と分かり合えたか,聴衆に伝わったかは疑問.いわゆる自分の価値観の押しつけのような.(一方的なパターナリズムの医療の風景を見ているよう)
Lou Donaldsonは往年のテクニックにこそかげりは見えていたが最も聴衆とつながっていた.最も聴衆が喜んだ,満足した.
commodity化の話は以前も書いたので
芸人と芸術家の違い(goods, service, experience)
これ以上は書かないが.
大衆性(大衆に受けること,幅広く行き渡ること)と希少価値(one and onlyであること)の両立は限りになく不可能に近いのではないかと考えている.
医療をやる上で,自分が家庭医としての技能を磨く上でこれが永遠のテーマのように思える.
家庭医療とのからみ
1.海外の大御所を呼べばそれで何とかなると思っている
確かに今回のチケットも最も大御所の名前の多い回を選んだのは自分なのだが(そのせいで子ども達に迷惑が),某大御所ピアニストはミストーンだらけ,某ギタリストとのコラボは明らかに打ち合わせ不足,しかも2人とも「こなし」「流し」の演奏.
忘れてしまっていた「年取ったかつての大御所の演奏は失望のことが多い」の原則を再認識することになった(勿論例外もあるのだが)
残念ながら,何千人というホールを埋めるには出来るだけ知名度の高い人を目玉に据える必要があるのだが,そういう人が最もコストパフォーマンスが悪い.限界効用逓減の法則ということもあり,有る程度の金額を超えると追加して投入する資源に対してのリターンはだんだん減ってくるが,出した金額に対しての見返りの期待は通常限界効用逓減が起きないので,期待と現実のギャップが大きくなる.図でかけるとよいのだが..
ともあれ,家庭医療に限らず,医学に限らず,海外の物・人が珍重されてしまうが,それはある意味人寄せパンダでしかなくて,ずっと効率よく近場から,質の高い講演や指導医を確保することは出来るはずなのに.
単発の講演やセミナーが気合いやエネルギーを注入する以上でも以下でもないことはもうみんな知っているはずなのに.
食べ物だけではなく,人という資源においても自給率(指導医国内自給率,指導医施設内自給率)といったことやフードマイレージに相当するヒューマンマイレージ(その講師,指導医を読んでくるのにかかるコスト)を考慮した,人的資源の地産地消(千葉県では千産千消といいます)を考えていかなければならないのではないか.
2.家庭医療とjazzの類似性
Clinical Jazzという教育法が家庭医療の世界にあります.臨床という医療行為とjazzとの相似性を良く表していますが,jazz playerとしては,jazzを知らない人がアドリブだコードだという表現を使うのを聞くことには何となく違和感があります.(非常に表面的に感じます)
私はjazzと家庭医療はもっと深いレベルで共通点を持っていると考えています.
jazz legendの一人チャーリーパーカーの言葉
Music is your own experience, your thoughts, your wisdom. If you don't live it, it won't come out of your horn. ~Charlie Parker
音楽はおまえ自身の経験であり,思考であり,知恵なのだ,音楽を生きるという行為なしに,それはおまえの楽器からは出てきやしない.
→人生経験が豊富でなければ,自分の人生と真っ正面に向き合わなければ,その人の医療行為も薄っぺらい物になる.
そして現代のlegend winton marsalisの言葉
jazzをうまくやるにはまず音を出すのではなく,周り・相手のいっていることを良く聴くことだ.それなしにjazzは始まらない.
→補足不要ですね.まず患者さんの話を良く聴きましょう
長くなりましたが,非常にコストパフォーマンスの悪かったコンサートで腹が立ったのでとっても批判的なエントリーになってしまいました.
それでも,大衆に受けなくなればその芸術はそのまま廃れてしまう.
さて振り返って,
家庭医療はきちんと大衆に受けること(患者満足度)とその芸術性(学問としての家庭医療と質の高い医療)の両立を目指しているか.
P.S. 成人はあらゆるところで学ぶのであった.
2009/08/21
家庭医募集第1弾 2010年 亀田ファミリークリニック館山
第1弾の情報をupしました
来年はフェローとスタッフの充実が目標です。
もちろんレジデントの募集は継続的に行っていきます。
みなさまのお問い合わせをお待ちしております。
家庭医募集2010 亀田ファミリークリニック館山
2009/08/16
フィードバック 「ほめる」ということ
フィードバックについてのWSはもう数えるのをやめるほどやりました。
現場での指導では基本中の基本です。
ずっと同じ事をやっていると自分の側に情熱がなくなってくる事と、また自分自身も世の中も少し変わったり医師の間で周知も進んでくるので、元々の内容ではそぐわない部分も出てきます。
ですから、最近、私自身がフィードバックのセッションをやるときは「ほめる」ということに重点をさらに置くようにしています。
時間が限られているときはこの資料だけで済ませる事もあります。
そのときに使う資料をアップしておきます。
カリスマ指導医の多くが医師としてのキャリアの最初の時期を過ごした某XX病院の卒業生達は未だに指導は厳しくなければならない、叱る事は必要という信念を強く持っている人たちが多いです。
叱る事は不要ではありません。しかし、実際に本当に必要な状況というのは多くの人が思っているほどありません。皆さん過剰使用と感じます。
抗菌薬は適切に適応を考えて使うのに、なぜなのでしょうか。
叱る事は相手や状況、使い方を間違えると大きな副作用を引きをこします。必要最小限に。
この辺りの事は以前に書かせて頂きました。
ただし、今年の医学教育学会での九州大学でのポスター発表では医学生に対する模擬患者からのフィードバックに関してはNegativeなものが最も役に立ったという結果が出ていました。
あくまで叱るとNegative feedbackは別のもの、という事を書き添えておきます。
フィードバックに関しては興味が尽きません。まだ読み込んで自分のWSに取り込まなければならない資料が山積みです。
「ほめる」ということ

